メモ − 日本じゃ普遍的な価値のあるものがアートだから
[art] 「誰もがみんなアーティスト」 − J0hn D0e の日誌
自分はオタ物しか摂取しなくてそっち方面でしか語れないけど、気になったのでここにすこしメモ。
今年の夏コミでのお話。知人のサークルの本を買いにきた人の中に、アメリカからはるばるやってきた外国の人が居られて、その時のこと。
日本の同人界隈には本を売るサークルの人に自分のスケブを渡し、絵を描いてもらうスケブ交換、あるいは単にスケブという民間伝承があるのですが、先ほどの文中リンクに書いてある通り、日本では無償のこの行為が海外では有償で行なわれることが基本みたいで、スケブを依頼したガイジンさんに、知人が対価を要求せずに描くと驚かれた、というお話。
あと欧米には「comission」なる絵画作成依頼制度?があって、依頼人がローコストの金銭(例えば、ある日本人の絵が上手い人ならば「フルカラーの人物画で簡単な背景なら50ドル 綿密な背景なら85ドル」のように)を払い、受け取った人が依頼人のある程度の要求に従いながら絵を描く、といった取引がdeviantARTで行なわれていたりする。例えばこんなカンジ(ちなみにこの人はタイ在住の方)。
comissionを行なっている人は上手い人からそうでない人までピンキリで、意外とそうでない人にもcomissionの依頼が来る。paypalなどネット送金制度を利用して、comissionを使ってお小遣いを手に入れている日本の知り合いも私には居る。
さて、ここから妄想タイム。
paypalとcomissionなどによる“ネットの力”を利用して、海外販売に活路を見出している人は少数ながら居るというのが私の実感なのですが、「欧米はそうであれ、日本も同じように変わるのか」というとそれはまだ難しいのではないか、と私は考える。
オタ界隈に限って言うと、「外国の人は結構気安く絵を買う」というのは恐らく「そういう方法でしかファンアートやオタアートを入手できないから」であり、日本だとタイマンでイラスト製作を依頼する前に、すでに同人誌市場が成熟して存在しているので、即売会やとらのあなで好みのものを買うだろう、と。
さらに話を拡大すると、日本の多くの人が芸術に求めているのは「大量に出版された、普遍的な価値のある物」であり、欧米の人は「一個あるいは少数限りであり、自分だけでも価値があるもの」を求めているので、芸術の発露形態がこうも大きく離れてしまったのではないか?と――
同人界隈において、そこそこ絵が上手くて、エロいマンガや絵が描けるという人は、同人誌を出版したり同人ダウンロードサイトに登録したりすることによって、「20万までいかなくても、もうちょっと現実的な数字で創作物に対してお金が動いてもおかしくない」。しかしながら、それは結果として受け手の嗜好――性思考や、その時流行っている作品や絵柄に左右されてしまう。いくら受け手の求めるものが何であれ、作り手がものを作りたい!と思う気持ちは作り手ありきなので、厳しくてレッドオーシャンになろうとも(*1)作り手本位の創作物売買制度も流行ってくれたらナーと乞い願うばかりです。
まぁ、受け手と、受け手と価値観共有できるエロ衝動ありきのこういう意見が出てくるようじゃ、オタ界隈が海外みたいに個人・個性尊重で動くのは先の先の先じゃなーと悲観する自分がいるのですが。へへへっ。
参考:「アニメや特撮においてCGがこれからもたらすもの」―2Dから3D、そして融合の時代へ―文化庁メディア芸術プラザ特別座談会
後編はコチラ。いかに「才能」という「個性」をすくい上げて集団の中で自立させるか、みたいなお話として。
(*1) 個性重視・技術力重視の世界というのは、同人界隈みたいに「流行っている作品さえ描けばある程度は売れてくれる」みたいなセーフティネットが無い世界な訳で。