果たして誰が柘植の役目を引き受けるのか?
自分はどっちかというと非モテっちゃ非モテであり、また非モテでありたいと思っているのだが、ここ最近非モテ界隈に積極的にコミットしていないのもあり、6.30アキハバラ解放デモについては積極的な言動を避けて野次馬根性でウォッチさせて貰っていた。
結局、解放デモはこことかここを読めば分かるとおり「面白いことやりたいね」みたいなノリで始まったデモであり、今回のデモ自体にも「面白ければいいじゃん」以上の意味を感じられない。だがしかし、参加する人、Watchする人の中にはなんらかの意図を持って解放デモに思い入れを抱く者もあり、mixiコミュでのこれなんて、まさに「炎上させたい」から解放デモに「ありもしない意図」を見出して運営を煽っている、としか見えようがなかった。おお、これって解放デモの「なんかやりたい」から解放デモで「思い思いの服装で、思い思いのパフォーマンスで、思い思いの表現」をしてもらったということと相似形じゃないか!結論:自業自得
――と、運営側の失態をつついてデモを表現するのはたやすいが、それでは周囲の人が抱いた思い入れの行き場がない。それに私はアキハバラ解放デモを“オタク”の人がどう捉えるかということについてずっと注視していて、突如現れた場、あるいは秋葉原に出現したブラックホールをどうオタクは『表現』したかによって、今のオタク像――彼らが何を求めているかについて分かるように思った。そうした上で、以下のエントリーを私は大変興味深く読ませていただいた。
アキハバラ解放デモとソレへの批判に対する雑感と『オタク』 - 記憶のメモ帖
なにやらコミケと対比してアキハバラ解放デモを表現されているのですが、
だいち(原文ママ)オタクのイメージ云々を言うのならば、コミケ等の方がよっぽどオタクのイメージについて影響を与えてるし、迷惑さ加減でも周辺地域や交通機関に多大な影響を与えている。
EEEEE−(´д`)「多大な迷惑や影響を与えるコミケ」て、あんさんどんだけコミケ嫌いなんですか(汗)。というかビッグサイト自体立地条件を見てもらったら分かるとおり周りはコンテナ埠頭だったりオフィスビルが申し訳なさそうに立ってたりと迷惑こうむりそうな住人さんが居られなさそうな雰囲気ですし、交通機関といわれましても観客人数90万人という記述がある隅田川花火大会はどのようにしてその膨大な観客さんを裁いておられるのでしょうか。お祭り戦線は複雑怪奇でございます。確かにコミケは1日辺りの参加者は15万人と言われ、朝や16時頃のりんかい線ならびにゆりかもめはいたく混雑いたしますが、こういった祭りに対して津波のように人間が押し寄せるという光景はオタク@即売会に限らず全国各地で目撃される現象でございます。これを迷惑と言うならば、そういった長いものに巻かれろ精神が強い日本人の存在自体迷惑と言ってしまうのが宜しいでしょう。
コミケの理念や目的が素晴らしいから支えてるってのもあるだろうが、やはり一番はコミケによって多くの者達が何らかの利益を得られるがゆえに、多大な迷惑や影響を与えるコミケでも皆して支え盛り上げているというのが本音じゃないだろうか。そういう意味では色んな物を受け入れ飲み込み、肥大化という道を歩んだコミケの方針は正しかったのだろう。
人がコミケそれ自体に対してバッシングをしないのは、確かに参加することによって好きな作家さんの同人誌が買えたり(同人誌が買える場所はたいていの場合において即売会だけだ!)するというメリットがあるからでしょう。でも利益があるからといってバッシングをしないとか、事態はそんな単純なものではないはずです。それは運営側もおそらくまた然り。確かにコミケがすべてを許容し、拡大化していった背景には戦略的な面もあるかもしれないですけど、戦略だけでは人間生きていけませんよ?特にこの方がやり玉に挙げている「儲けを追求するサークルや買い専の一般参加者」、果たしてどれくらいの売り上げをあげたサークルが「儲けを追求した」ことになるのか、買い専の何が悪いのかがまったく触れられていないのは如何なものでしょうか。たとえばここに内容のカケラもない二次創作エロ本が落ちていたとして、それは儲けを追求したためにマスプロ的に作られたのか、それとも「自分にはストーリーのセンスがないけど、絵を描いて表現したいという欲求がある!」という芸術的な衝動で作られたものなのか、どうやって判断するのでしょうか。
排除しないのは、単純に排除できないからであり、芸術というものが不確定要素に支配されているものである限り、「儲けを追求するサークル」を排除する規定を作ることによって、さきほど例示した後者のような立場の方を排除する危険性を帯びてしまいます。著作権法など、法律に違反しない限り排除しないということこそが、「表現したい人が表現する場」として作られたコミケの理念に合致するのです。
あと、買い専はレビュワー的な立場があるよ、ということで1行でざっくりと。もし買う側の問題を挙げるとするならば転売屋の存在でしょうか。これも運営が動いてどうにかなる問題でもないということでパス。ヤフオクで売る人、買う人或いは中古屋同人誌に売る人、買う人の問題です。そしてレイヤーはきちんとした表現活動ですし、企業参加者については……いまいちピンとこないので個人的な感情から言わせていただくと、同人誌を売っている場所と企業ブースは別々のところに位置しているので(同人誌を売っている所は東西1階ホールで、企業ブースは西館4階)、あまり意識したことがなかったりします。つまりゾーニングができている、ということになるでしょうか。
ちなみに利益というと、コミケはクリエイターの土壌になっているというところが触れられていないのは何故でしょうか。企業は横っちょに置いておいて、コミケは作り手、受け手において自らの内的向上を図れる場所であり、一般参加者の方々も、コミケがクリエイターの登竜門的な役割を担っているということを把握されていると信じてやまないので、利益という暴力的な一言によってまとめて欲しくないという生理的感情が私にはあります。
しかし、私はアキハバラデモのような祭りがあっても良いと思う。あ〜いう自己表現の仕方や、する場が有っても良いと思うし、「オタクはそんな事をしない」とか勝手に枷をはめる必要もない。作品を創作するだけがオタクでは無いし、コミケのような祭りの場を創作する事も、そこでコスプレをしたり主張をしたり踊ったり歌ったりする事も、オタクであろうがそうでなかろうが、十分自己表現として尊重すべきだ思う。
そうですね。しかしながらコミケがアキハバラ解放デモと一緒の文章に投入されているところに拘泥たるムニャムニャを覚えざるおえないので、もう一つコミケとアキハバラ解放デモの違いについて述べさせて頂こうと思います。
まずコミケは巨大な内向きの祭りです。その理由としてコミックマーケット準備会は一切の宣伝行為を行っていません。そしてアキハバラ解放デモは何らかのメッセージを外部に伝える小さいながらも外向きの祭りです。この違いはとても大きく、コミケはいくら巨大であっても内向きである限りオタクやオタク文化という概念を混乱させるものにはならないのですが、アキハバラ解放デモは「われわれ」を外向きに発信するが故に、オタクやオタク文化という概念を混乱させる要素となってしまうのです。私自身は色々なオタクが居ていいと思うので、アキハバラ解放デモについてはスルーを決め込んでいる訳ですが(つまり否定はしない)、いきなりよくわからん人がオタくさくないしょっぱいデザインと内容のHPを立ち上げていきなり「抑圧されてるから解放せよ」とか言い出したら、それまでずっとオタクをされてきた人びとにとっちゃ「なんだキミ達は」という第一印象を持っちゃうのが普通じゃないのでしょうか*1(もちろん運営側にとっては、いきなり現れた半匿名さん達に対して「突然何を」と感じるというすれ違いが起こってしまう訳ですが……)。彼らとは対照的に、本田“非モテ('A`)”透は「日刊アスカ」ないし「しろはた」で下積みを積んだ後、イベントを行うにしろ、東京地下深くに存在する新宿ロフトプラスワンで行うなど*2、従来のオタイメージに合致した営業戦略を図った結果、女の人には相変わらずモテないですが年長のオタの人たちにモテモテになることができました∩( ・ω・)∩ 。
――もちろん、オタクの「上がり」は年長のオタの人たちにモテモテになることそれのみではありません。時には斬新なイベント&ムーブメントを引き起こし、オタクのアイディンティティを揺さぶってこそイノベーターと成り得るのです。しかしここで忘れてはならないのが、オタク界隈における偉大なる先人である所の柘植行人(つげ ゆきひと)という人物です。
柘植行人は『パトレイバー2 the Movie』というアニメの作中において発生した一連のテロ事件の首謀者であり、登場人物に「政治的要求が出ないのは、そんなものが元々存在しないからだ。(中略)これはクーデターを偽装したテロに過ぎない。それもある種の思想を実現するための確信犯の犯行だ。戦争状況を作り出すこと。いや、首都を舞台に戦争という時間を演出すること。犯人の狙いはこの一点にある。」と表現されています。
私はこの一文にアキハバラ解放デモのすべてが詰まっていると考え、その上で以下を結語とさせて頂きます。
「パトレイバー2」において柘植は、最後に主人公達に逮捕され、ヘリコプターに乗せられて連行されていきます。そこで映画は終わるのですが、そのヘリコプターの中で以下のような言葉を交わしています。*3
松井「一つ教えてくれんか。これだけの事件を起こしながら、何故自決しなかった?」
柘植「もう少し、見ていたかったのかもしれんな」
松井「見たいって、何を」
柘植「この街の、未来を」
まぁ非モテに限らず、オタクの中においても――とりあえず私が活動しているジャンルで喩えさせて頂くと、やたらと「クロノアまじ感動した!いいね!友情っていいね!涙ちょちょきれた!こんなゲームないね!」とヒステリックに叫び、「ヌヌヌゥー!クロノア3はまだか!まだかー!続編希望!続編んんんんんー!キキキーーー!ナムコーーーー!」と発狂し、様々なネット活動(問題行動を含む)を行った結果、1年2年程度で熱が冷め、HNを変更して他の動物キャラが出てくるゲームにハマり、クロノア界隈からフェードアウトしていくみたいな現象が多々観察されるわけですが、果たして解放デモを運営された方々は、柘植と同じように自決しないで生き残って頂けるのでしょうか。彼らにこの街の未来を見る力は残されているのか、これから非モテの人がどう活動していくかについて、盲目的な賛同をせず、注視していく必要があるように思えます。コミックマーケットの故・米澤嘉博代表はまさにコミケに一生を捧げて亡くなられた訳ですが、もし今後も覚悟ある運営を続けられないということでしたら、結局はアキハバラ解放デモはネットで散発的に起こる炎上という名の祭りと同種の、無責任な内容になってしまうのではないでしょうか。私としては運営の方々に、暴徒的なカオスではなく、意思を持ったアジテーターであって頂きたい。自由とカオスが紙一重であるように、「ボクらが自由に楽しく生きられる社会を作」るためには、もう少しの努力を怠らない必要があるのでは、と思います。
*1:ちなみにmixiを見て回った限りでは、30代の人が解放デモに主に否定的で、20代の人が解放デモに主に肯定的という印象を受けました。
*2:
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|バレンタインシェルター|
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*3:「機動警察パトレイバー2 the Movie/全台詞」より引用
同人情報だよー\(^o^)/
なんでこんなタイトルにしたのか自分でも理解ができません(挨拶)。
という訳で「よつばの。」のこっくりさんが主催される「よつばの。読書会 3rd」のカタログをお手伝いしてきました。今回は文章じゃなくてイラストで。なにやら表紙だそうです(´д`;)。
よつばの。読書会というとそりゃもうアレですよ。同人誌を買って読んで買って読んで読んで積んで積んで積んで貸してもらって借りて貸してあげて読んで読んで積んで積んで積んで、まだ積んだり読んだり買ったりしたりない人が集まる、同人界におけるエリアB7R 通称『円卓』である訳でして、人は参加者――『円卓』の舞台に立つ野獣達、通称エースコンバットたちを『円卓の騎士』と呼んだりする訳ですよ。いや呼んでる人は私だけなんですけど!きっと寝る前30分の同人誌のネーム妄想で。
さておきそんな猛者の方々が来る手前、下手な絵でも描いたらこっくりさんにそそうをしてしまう(どうでもいいですけど、そそう、ってなんかかわいい発音ですよね。内容アレですけど……)ので、もうできる限りのリソースはちょっと同時並行して別の作業していたこともあり無理でした。すみません。
まぁそんなこっちゃで報告のみということで今回はご勘弁を。まず居られないと思いますが、このブログの読者さんで、よつばの。読書会にも行かれるという方が居られましたら、表紙に関しましてはニヘラニヘラ笑っていただければこれ幸いと存じますorz。
夏コミに関しての参加情報はまた後日の新規エントリーにてー。あ、一応クロノアファンディスク3には参加していないことは書いておきます。汗。