20060327
前回に引き続き――
アニオタクイズ〜2006年春〜へ門前払いされに行きました。
ちなみに前回の結果はこちら。
こういうのはただ答えるだけだと面白くないので、とりあえず自分のスペックおば。
年齢:20歳
人生で最初に衝撃を受けたアニメ:マクロスプラス(レンタルビデオで)
作画とか考えるようになったアニメ:機動戦士のんちゃんと、作者のすふぇらとう氏の自伝で板野一郎の名前を知ってから。
演出とか考えるようになったアニメ:TV版Airかなぁ
一番好きなアニメーター:後藤一雅氏(涙)。
注目している演出家:山本寛と須永司
Q1 宇宙の戦士OPより。下のカットの原画担当者(10点)
この時点でいっぱいいっぱいだったので、カンニングとスタッフ表を見に行って大変後悔。キャ、キャラデの人って……。
……ええいっ、最初に考えていた湖川友則と答えちゃる!
Q2 機動戦士VガンダムOPより。下のカットの原画担当者(10点)
村瀬修功さん?
Q3 ドラマ電車男より。下のアニメの原画担当者(10点)
ア"-ッ('A`)
ど、動画の手伝いでOkamaさんが入った……そうデスヨ……。
Q4 ふしぎ星の☆ふたご姫41話より。下のカットの原画担当者(10点)
ア"-ッ('A`)
演出は玉川達文さん……
Q5 舞-乙HiME14話より。下のカットの原画担当者(10点)
ア"-ッ('A`)
桝島さん……は作監かな……。
Q6 忍たま乱太郎より。下のアニメの作画担当者(10点)
藤森雅也さん?
Q7 下の写真の人物の名前(10点)
竹内哲也さんか、竹内敦志さんのどちらか……。
竹内哲也さんで!
Q8 須田正己さんが担当したアニメのOPを2つ以上(10点)
ビャーorz
Q9 以下の人物の出身スタジオ(2点×5)
・伊藤郁子
・沼田誠也 ユーフォーテーブルではない
・石田敦子
・岸田隆宏
・山村浩二
Q10 以下のPNの本名(2点×5)
・ヌジャ=タビス
・甲賀電
・白河明次 河森正治
・河山雪子
・摩砂雪
こ、こんなもんですわー(苦笑)。
20060325
欧米と日本ではモノの愛し方が違う、のかもしれない
西欧人は擬人化が嫌い。
前回自分でもなんとも言いがたいエントリーを書いてしまったのだが、ありがたくもはてなブックマークで感想を頂いたので、あれから考えたことを加えてもう少し進めてみることにする。
1:まず、西洋で擬人化はポピュラーな存在である。
まずは擬人観からの参照wikipedia-だ。
この記事は冒頭に、
日本では伝統的・宗教的に偶像崇拝がタブー視されにくかった為、擬人観に対する抵抗が低い。このため日本人は無生物であるロボットに対しても擬人視して扱うことが多い。
しかしその一方で現在、キリスト教やユダヤ教では神を擬人視することに対し否定的であり、また西欧の「人は人」「他は他」という思想により、そういった擬人観的な要素は少ない。
と書いてあるにもかかわらず、後述でディズニーや国の擬人化を参照するなど、少しいびつな構成をしているように見受けられる。
ここは「キリスト教は」擬人化にたいして否定的ということが言いたいのであり、それが西洋の相対ではないということを書きたかったのが、文章の混乱でそういった意図がとれないものになってしまった、と捉えるのが良いかもしれない。
Wikipediaで後述されている通り、擬人化は西洋では非常にポピュラーな概念だ。
バンビやダンボ、あまり知られていないがロビンフッドなど、ディズニーアニメで擬人化された動物は定番のキャラクターだし、
ワーナーにもバックス・バニーという、擬人化されたウサギの定番キャラクターがいるのは周知の通りだろう。
またその歴史も深く、グリム童話などを紐解けば、動物をキャラクターにした物語はすぐに見かけることができるし、動物以外にも、ロボットを擬人化したアニメ『トランスフォーマー』が海外で人気を誇っているのは逃れられない事実である。
そしてそういった擬人観が、日本の文化に与えた影響も指摘したい。
具体的に例示すると、擬人化動物を作中に頻出させる手塚の源流がディズニーアニメであるということ、などだ。
しかしそれは、あくまで動物を人間のように見立てているのであって、びんちょうタンのように人間そのものにするのではないと言えるだろう。
1:「下位擬人化」と「上位擬人化」
動物を至上の存在とする愛好家には悪いが、ここで動物は人間よりも「下位」のものとさせていただく。
今まで挙げてきた事例は、動物をディフォルメして人格を付与したり、人間の中に動物を見出す、いわば「下位擬人化」であり、対照そのものを人間にしてしまおうという要素はない。
しかしWikipedia「擬人観」のなかの「サブカルチャーにおける擬人化」で挙げられているものは対照そのものを人間にする要素が強く、モノの中に人間を見出す願望が見て取れる「上位擬人化」である。
この「上位擬人化」と「下位擬人化」について、上位擬人化はアニミズムと一言でまとめてしまっても良いが、アニミズムは世界に偏在する原始的な概念であり、日欧米の差異の象徴にはならないので、この記事ではもう少しその違いについて、別の事項を参照しながら記述していこうと思う。
3:アメリカには絵柄が「濃い」という評価基準が無かった。
(炭=びんちょうタン というのが関連できる日本と、関連しづらいアメリカ?)
以前私は、「自分の絵柄は濃い方だ」といった文章を、シアトル在住のさいはてさんに英語で訳してもらおうとしたことがある。
しかし結局北斗の拳やジョジョの奇妙な冒険で例示しても、「濃い」というニュアンスを持つ英文を作ることができず(ネイティブの人にまで相談して貰っても!)、それら二作品のイラスト評価は「シャープでハイコトントラスト、リアルな画風」という、個々の要素を列挙して個々評価するしかないといった結果に落ち着いた。
こういった技術的な要素でしか絵を指摘できず、雰囲気で単語を紡げないという事実を、伊藤剛が「テヅカ・イズ・デッド」の中で提唱した「キャラ/キャラクター理論」と絡めて論考してみる。
「テヅカ・イズ・デッド」は必読の名著だが、敢えてこの「キャラ/キャラクター理論」を解説させていただくと、それは「キャラクターという統一存在が、さまざまな図画の形を持ったキャラ(竹熊はblog中で混乱を避けるため、これを「表層キャラ」と呼んでいた)といった形で世界に現れる」といったものだ。
これを日本文化特有のものとし、無理やり概念だけを頂戴すると、「濃い」というキャラクターが、ジョジョや北斗の拳といったものに図画(キャラ)として現れるのが日本人には見えていて、アメリカ人はこういった性格の関連付けが行えない為、個々の価値基準でしか理解ができないということが言えないだろうか。
4:結論
文章も長くなってしまったことなので、強引にまとめる。
欧米人は、モノそのものを愛する。
下位擬人化はいわば動物に対する愛玩表現の発露であり、海外ではネコミミなどの、人間に動物のパーツ付与よりも動物のラインを残した形で獣人化するものが愛好されているのにも、そういった事実が伺えそうだ。
一方で日本は、モノを人間に見立てて、それを愛好する。
象徴として、本田透が電波男において、現実の女と相対化するカタチでしか二次元に愛情を投影できなかったということが挙げられるだろう。
(ショタ絵師のMacop氏が、かつて日記において電波男の内容を「昔からよくあった発想」と唾棄していたのが印象深い)
『鳥獣戯画』や『獣太平記』など、日本の古典には獣人的な絵が多々見受けられることはWikipediaでも述べられている。
しかしいつからか日本は、対照を人間化することでしか、モノを愛せなくなったらしい。
上位擬人化はアミニズムの発露なのか?
それは上位擬人化をした際によく付与される「萌え」とあわせて、これから熟考すべきポイントであろう。
最後に、id:terasuyさんに対し、擬人化に対する考えを深める機会を与えてくださったことに対する感謝の気持ちと、二度のトラックバックごめんなさい、ということを述べて筆をおくことにする。
補記:ちなみに私の実感として、「萌え」は日本の中のみの概念であり、まだ正確に、海外に伝播してないという気がする。
Bittorentの発達により、ファンサブでほぼタイムラグなしにアニメを見れるあちらで、
10年ぐらい前から作られた萌え(moe)という言葉があちらで使われていないからだ。(Kawaiiという言葉が市民権を得ているというのに!)
補記その2:着目したい画家としてフランス人のグランヴィルの存在があったが、彼のスタイルは人間の動物化による人間社会の風刺なので、それについて触れるのはめんどくさくて記述しなかった。
20060323
倫理と本質の狭間で。
西欧人は擬人化が嫌いというエントリーについて、シアトル在住のさいはてさんと話し合ってみた。
まず、キリスト教的な考えから言うと、この
現在、キリスト教やユダヤ教では神を擬人視することに対し否定的であり、また西欧の「人は人」「他は他」という思想により、そういった擬人観的な要素は少ない。
というwikipediaからの文章もあながち間違いではないかな、というカンジがする。
ご存知の通り、アメリカは現在宗教の教義が優位の方向で推移しており、上記の文章どおりの締め付けもきつくなってくる、かもしれない。
しかし、キリスト教的な倫理の一方で、それと相反する個人主義的な価値観が存在することも事実であり、現在は相反する二つの価値観の中で揺れ動いている、といったカンジか。
なので、もし一神教的な倫理や、キリスト教の(ヒトはヒト、モノはモノ)といった教義と照らし合わせていけば、上の文章は肯定されるし、
それよりも欧米人特有の個人主義的気質に着目するならば、上の文章は偽となってしまうだろう。
しかし実情として、欧米人さんにはフリークスが多く、日本人は「何でも人間化したがる」という傾向があるように思える。
一体この違いは何か?と考える上で、とりあえず二つほど参考になりそうなことを述べてこのエントリーを終わりにしよう。
1:日本では心などの同調圧力が強いという実感。
2:獣人好きな人から、欧米人にフリークさんが多いのは「倫理の厳しい宗教によって抑圧された心性が開放された結果では?」という話を聞いたことがあること。
1については、いつかUPする予定の「獣人カルチャーの現状」で、具体例を示す予定である。
……久しぶりに文章書いたらかたいなぁ……。
20060307
更新間隔が開いてしまって申し訳ございません

更新間隔が開いてしまって申し訳ございません。故あって実家暮らしをしていて、そのため大分更新エネルギーが吸い取られてます。
私の実家は同人活動をあまり良しとしない家なので、自分のこういった活動は裏で隠れて行っていたりします。その為日常生活においてもお互いの意見に齟齬が出る場合が多いので、そちらで気をもまれていて。自分の同人活動って、一人暮らしに依るところが大きかったんだなぁ、と感じています。
――と、こう書いてしまうとなんだか今にも消え入りそうなので、現状報告を。今は実家暮らしの辛さが現実逃避に向かっていて、夏コミにむけてのまんがを描いています(上の写真は、そのまんがのレイアウト図)。当初予定では20〜30Pだったのですが、ネームを切ったところ30〜40Pになりそうで戦々恐々としています。何のマンガについてかはナイショ。夏コミでJ&が受かったら発表します。
当面はそんなカンジで、あとはずっと暖めていた長編まんがを夏終わってからはじめようかと。学生時代にやれるだけのことはやっておきたいので、夏が終わったら完全にそっちに勢力をシフトさせる予定です。今描いているマンガは同人誌オンリー予定なのですが、そちらについてはネットも視野に入れて取り組んでいくつもりなので、ページの更新についてはそれまでは何卒のご猶予を……。
あとはこのブログなのですが、とあるブロガーさんからリクエストされた「獣人ジャンルの現状」みたいなものとか、とある同人誌の感想とか、色々とスタブな記事はあったりするのですが、前述したとおりなので、もう少しぶくぶくさせて下さい、ぶくぶくぶく……。