20070527

ネットにおける“俺ケット”の存在について

例えば私が中学生時代、ネットで交流する相手に対して失礼にならないようネチケットというものを学校の先生から叩き込まれまして。ネットには色々な人が存在するのだからお互い節度やルールをまもって楽しく交流しましょうと言われた訳です。
しかし現代日本は個性尊重社会。いや学歴社会、横並び社会のこの日本国でせめてネットだけは俺の自由にさせてくれという叫びの表れなのか、ネットにあふれる膨大な人間を利用して自分の好きなタイプの人のみと付き合うという社交スタイルが可能になった今、はしご禁止的な俺的ネチケットつまり“俺ケット”が各個人コミュニティっつーか各個人の間で無尽蔵に生成されてきているという個人的印象があります。こういう“俺ケット”はよく「最近の若者はマナーがなっとらん」ということで時折話題になるのですが、先ほど推定年齢30歳ちょい上と思われる方が全く無関係な人をさも知り合いっぽく「〜くん」呼びしてしまって、相手から「知り合いでもない人に知り合いかのような呼称で書いてほしくない」と言われてしまっていた現場を目撃してしまいまして、どうやら“俺ケット”に年齢も何も関係ないようです。ちなみにこの事例は結局、「〜くん付けするのも相手の自由だし」に落ち着いていて、ああこれが日本国憲法第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」なのだな、と、ネットに生きる憲法の偉大さと社会における基本的人権の大切さを勉強させて頂きました。
まぁ自分と波長が合わない人とネチケット守って交流するよか、自分と波長の合う人のみと付き合ってルール&マナーおかまいなしに付き合ったほうが交流コストは圧倒的に少なく済んで精神的に楽だからそれはそれでいいんですよね。現実世界で擦り切れてる分、ネット世界では羽を伸ばしたいでしょうし。しかも相手に社会的常識を盾にルール遵守を求めたら、最悪相手がぶち切れて国交断絶+相手の仲間内で根も葉もないことを吹聴されたりするというリスクも考えられるわけで、どうしても日本国憲法第19条大前提大遵守で物事を運びがちになってしまいます。更にネットにおいては、ネットユーザーが出す情報は統制でき、あるいは無意識の内に制御されていたりします。なので自衛のため、あるいは自らの美化や演出のために発言や口調、使用ツールを取捨選択することはごくごく当たり前に行われているのですが、問題点としてネットはほとんどが公衆部分である(特に自分を演出するタイプの人にとってはみんなの前に晒されないと意味が無い)というものが上げられるので、生成した俺ルールが相反する者同士で悲しいコンフリクトが生じてしまうことがあるのです。つまりさっきの事例ですね。ループ。

この文章自体がその体で表している通り、今後未来永劫解決されることは無いであろうこの出会いと別れと胸のもやもやのスパイラル。個人的に作った名称は不幸な出会い。私の場合を例に出すと、『年下相手でも年上相手でもよっぽどのことがない限り「〜さん」付け以外で呼ばない』という個人ルールから時折『年下相手には「〜くん」付けで溜め口で話し、年上相手には「〜さん」付けで敬語と使い分ける』文化圏の人に胸のもやもやを感じるということがありました。
私の個人ルールは大昔、年齢は基本的に非公開の由緒正しいファンサイトの掲示板に入り浸り、「相手の事を親しい呼び名で呼ぶ場合は相互認証が必要である」というネットマナーで生きてきた経験から生まれたものなのですが、自分の今の主な交流手段であるmixiでは、自分の年齢を表示する機能があるんですよね。この機能をお互いONにしていると相手が年下or年上であるということを認識できるので、時たまこちらが年下だと分かると「〜くん」と呼称た口調で話される方がおられます。ああ、親しみを込めて可愛がって下さっているのかなーと思ったら年上相手にはきっちり礼儀作法をわきまえて「〜さん」付け+敬語だったりで、なんだそれ単純にネットに部活・サークル・職場の順列を持ち込みたいだけなのじゃないのかと感じたりもしたのですが。
でも「〜くん」には対等に扱うつもりはないという意味でのくん呼びと人生の先輩として俺が色々と教えてやるぞという意味での「〜くん」呼びの二種類があるんですよね。前者は「私はあなたの部活に入った覚えは無い!」と胸がもやもやするだけなのですが、後者の場合だとありがたさのあまりに「い、一生ついていきますぅぅぅぅ!ダンナ!」と涙の一滴や二滴流してもいいハズの呼び方で。だがしかし、仮にそうだったとしても、なんでかその人が先輩として色々と教えてくれることはなくて、行き場の無いこの想いをどうすれば納めることが出来るのかとランニングトゥホライズン。霧に閉ざされた光ファイバーの中で先輩の背中を見て育つにも、見えるのはただオタオタしいことが書かれたMSゴシックの文字列のみ。謎です。
まぁ、年下には「〜くん」で溜め口、年上を「〜さん」で敬語と呼び換えるのは「そういうものだ」の七文字で済ませてしまえばいいことなんですよ!理由は、そういうものだし。それに私は大昔の経験に加え、ずっとネット浸り同人浸りでブログや同人誌ばっかり読んでたニンゲンで、同人だと作品、ブログだと記事同士で対等に情報を交換し合う風景を見てきたので、ネット世界に現実世界の規範を持ち込もうとする人たちに対して違和感を覚えちゃうだけなんですよね。自分だって、リアルワールドで先輩後輩として付き合ってきた人たちに対してはネットでも「くん」呼びしちゃってますし。
……でもネットでも年下年上を意識しちゃう人って、とりあえずオタクと仮定して、将来自分より年下のクリエイターが出てきたら、やっぱり「〜くん」付けで呼んだりするのでしょうか。謎です。

――さて、クリエイターという言葉がでてきましたが、自分がこんなことを感じてしまうのも、結局は自分が同人活動として絵を描いてるからでしょう。先ほど同人界隈だと建前では作品が対等に扱われると述べたのですが、結局参加者それぞれの心の本音では、どうしても優劣をつけてしまうものです。大抵その優劣というのは、気が合う仲間内でしか表明されないのですが、ミクシィ内で露骨に行動することにより、その本音が露呈してしまうといった所でしょうか。しかし私は絵が下手なうえ、実際ピックアップという形で優劣の優を作ってしまっている以上、いくら本音を見てしまったところで心のタバコを吹かす――いや、「それが世界の選択か・・・」と寂しそうに呟き、「あぁ、わかってる。あいつなりの考えだな。ラ・ヨダソウ・スティアーナ(別れの合い言葉、意味はない)」と独り言ちて、まわりの奴らに脅威を与えるのをやるだけです。「俺だ、○○(相手の名前)はどうやら俺を絵描きと認めていないらしい・・・」「あぁ、わかってる。あいつなりの考えだな。ラ・ヨダソウ・スティアーナ(涙)」
……しかしそうして「ラ・ヨダソウ・スティアーナ」と言うだけで気が済むもやもやだったらいいんですけど、普通人付き合いって俺ケットを主張する前に相手を尊重することからはじめますよねぶっちゃけ?まず相手を一人の人間として認めるところからはじめればコミュニケーションは円滑になると思うのですが、やっぱり自分と波長の合う人のみと付き合ってルール&マナーおかまいなしに付き合ったほうが交流コストは圧倒的に少ないでしょうし以下ループループループ――
――以上、無理やりまとめるならば、ネットは普通に暮らしていたら絶対出会えないような人と交流できるツールであるということ他に、普通に暮らしていたら絶対できないような交流ができるツールであることを忘れるな、という言葉になるのでしょうか。ちなみに、「newくん」と呼ぶ方はその人の仲良しグループの内ですこぶる評判がいい方です。なのでやっぱり、謎なのです。

参考エントリー:ARTIFACT@ハテナ系 - 「愛がない」と言ってるけど、相手が自分の好みのものを作ってくれないというだけでしょ?
オタクはどうして鳥坂センパイに憧れるのか? : ARTIFACT ―人工事実―

トラックバック
コメント

ちょっと補足なんですけど、基本的にこのエントリーは「人は誰でも『〜さん』と呼ばれたがっている」という偏った価値観で書かれていて、なので逆にネットには「くん」呼びされるのが嬉しい、って人も居ると思うんですよ。人から可愛く見られたいから、とか、距離感が短いコミュニケーションを取りたい、とか。
そういう人に対して「〜さん」と呼んだら、文末で書いた「相手を尊重すること」になるのかというと疑問です。相手を尊重、っていう一言の中には相手の意思を尊重、っていう意味も含まれてると思うので。
結局は「このことを踏まえると、呼称は臨機応変に使い分けることが肝要!」ということになるのですが、コメント冒頭で価値観の説明をさせて頂いたとおり、あれだけの文章を書いてしまっていることにより、価値観がぐちゃぐちゃになったヘンな記事になってしまうため、本文中では触れなかったという次第です。
なのでこの記事を読んでくれた知人から「歯切れの悪いエントリーだねぇ。どうしたいの?」ときかれたのですが、
僕としてはとりあえず「ちょっと話題になってくれたらいい」と答えたいと思います。

Posted by: new : 20070528 21:18