■ゆとり世代の瞳の輝きに俺は明日への希望を見たね■
ついこの間、20歳前後の人たちと会って話す機会に恵まれた。俺に遠慮しているのかどうかわからないんだけど、何かと口を開けば「ゆとり世代ゆとり世代」と、下の世代への愚痴ばっかりだったんだ。こういう光景をおもわず見ちゃうと、どうしても「ああ、オタクは自分が先輩になって、安定化してしまった瞬間にダメになってしまう」と感じちゃうね。
元々こういう「これだから最近の若者は」っていう定型句は、40歳ぐらいの安定しきった人生を歩んでいるオジサンや、社交的でコミュニケーションセンスにあふれる若い一般人たちが、甘酸っぱさを忘れずに永遠の思春期を過ごしてしまっている俺たちに対して使う言葉だったんだ。シラケ世代とか、新人類とか、最近のトレンドはさっきの「ゆとり世代」になるんだけど、この言葉を聞いていてマズいと思うところは、若いオタクが、一つ二つ年齢が下のオタク達に対して使っているってことなんだ。
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知識や体験で劣る年下のこどもオタクに対して、「先輩がオタクのなんたるかを教えてやる!」と強がるのは、まぁ、許せるんだ。だけど、その人たちが大切にしているものって、たいてい自分の高校生時代に体験したムーブメントとか、いままで自分たちが得てきた情報でさ。らき☆すたのEDを観て、すぐに「どうせゆとり世代はEDに使われた「宇宙鉄人キョーダイン」なんて知らないんですよ」とか言ってしまう。なのに、らき☆すた2話(絵コンテはヤマカンこと山本寛だ)で出てきたミシェル・ゴンドリー監督のPV「Sugar Water」からの画像分割パロディ(画像とこのリンクを参照 追記:そこまで似ていないという指摘もある。)はだれも指摘しないんだよね。ちなみに自分もこのパロディに気づけなくて、「ゆとり世代」に属されてしまった人から教えてもらった。つまりは、ただ単に「あなたとわたしは生まれも育ちもちがう人で、だから見ているものも感性もかけ離れてしまっただけだ」ということを、無理やり世代論に押し込んでいるだけなんだ。
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(←ちなみにこれは、同じくヤマカンが絵コンテを切ったAirの2話からあの夏、いちばん静かな海のパロディ。真ん中の画像だけだと分かりにくいから、その後のダメ押しカットも入れてみた。映画を見た人なら、一発でわかってくれると思う『手前に空き地 奥に道路と堤防』レイアウトだ。こういうパロディをさりげなく作中に紛れ込ませてくれるヤマカンは、しびれるほどカッコイイ!)
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つまりゆとり世代と言っちゃっている人たちは、下の世代の人たちに対してコミュニケーション回路を開けない人たちなんだよね。20歳21歳生きていて得た知識をもとにコミュニケーションに使うんじゃなくて、ニコニコ動画で自分と同年代の人たちと交流するために使っちゃう。この前もイース2のPC88版オープニングを見ていたら、字幕で「さぁゆとり、これがゲームだ」って流れてきて苦笑してしまった。ニコニコ流の諧謔かもしれないけど、OPだけを見ただけでは、ふつうゲームって内容判断できないものだよね。だけどネットにはオタクって言える人たちが増えすぎて、自分たちの年代だけでコミュニケーション欲求が充足してしまっている。そんなところにニューフェイスが入ってきても、相手をしてあげられない訳だ。20歳21歳は大学でいうと3年生で、今年「ゆとり世代」の人たちが1年生として入学してきた。大学のサークルとかではきっと、後輩の面倒みるのが大変な先輩とか出てくるのだろう。1つ下の学年に対しては親近感を持ちやすいけど、2つ離れるとそうでもないからね。だから思わず「ゆとり世代」っていう言葉を使って、彼らを弾いちゃうんだろうね。それに上の世代の人たちが、知識が持っている奴らがエライ!っていうことで下の世代を教化してきた歴史があるから、それを繰り返しているだけじゃないかって思えてきて、俺はすごく複雑だったりするんだ。知識が重要なんじゃない、青臭い情熱さえあれば、人は誰だって生きていけるんだ。
だから俺はさげすまれている「ゆとり世代」に、希望を見出したい。ゆとりっていう言葉の理不尽なところは、「ゆとり世代」は望んでゆとり世代に生まれてきたわけじゃないってことに加えて、教育というほぼ全ての人が体験するところに差異を見出した言葉だから、どんな人でも使えてしまうってことだ。これじゃ、89年にコミケ会場に向かって「ここに10万人の宮崎勤が居ます」と言った人と、変わらないね。だからそんな、硬直化しちゃった上の世代にめげずに、若い人たちは自分の道を切り開いてほしい。ヤマトもなかった、ガンダムもなかった、エヴァもなかった自分の少年時代から何を得て、何を作っていくのか。大学入りたての人たちとも俺は話したことがあるんだけど、「Youtubeで作画に目覚めた。アニメ作りたい」とか、「自分のシナリオを生かしたエロゲーを作りたい」とか、やっぱり皆それぞれの大きな夢を持っていた。ゆとりだろうが何だろうが、何かをやらかそうって気持ちは普遍的なモノなんだよ。これからはこういう、俺たちオヤジには分からない体験から作られたメディアがオタク界のメインカルチャーをのし歩いていくんだと考えると、ゾクゾクするね。
80年代にアニメが急成長したのは、ひとえに世間から認められていなかったから。そこには怒りがあった。怒りは、行動の必然だ。「何もない」ことこそが、行動の着火点となる。
忘れてはいけない。日本で商業アニメが爆発的に発展したのは不遇の時期があったればこそ。アニメなんて、文化として認められちゃいなかったのだ。それと同じように怒れとか、反抗しろとは言わないけど、俺は決して自分を諦めないでほしい、とは思っている。だいたい、俺は作品にも人間にも完成度なんか求めてないもん。キラリと光る個性があれば、それで愛せる……とか言っても、結局これは繰り言に過ぎないんだけどね。作りたい人はこんなオヤジの言うことなんかほっといて、勝手にバンバン作ってるよ。俺もそういう、「人生のための仕事」に早いこと取り掛からないと。
……ということでフリーライターの廣田恵介さんリスペクト文体でいってみましたが……どんなもんでしょうorz なんかもう話を聞いていると「ゆとり世代は思考の組み立て方からしておかしい」みたいに壮大なスケールまで発展してすげー不愉快だったんですよ。なので心を保つために思わず文体お借りしましたorz 不快に思われたらごめんなさいo... rz あと、廣田恵介さんのブログ「550 miles to the Future」はすごくオススメです。毎回のエントリーがエンジンオーバーヒート気味の完全燃焼なので、見てる自分の心がホットになります。そして尊敬してますorz 大好きですorz
参考:
ダニメライブラリー メガ80's
アートミック発掘現場 メガ80's
club "Bバンカーズ" メガ80's
オタク論!が酷い - よつばの。
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