20060616
Maybe-na姐さん、それは違いますぜ!
違うんだ。非モテってそういうものを求めているんじゃないんだ。
――ずいぶん挑発的な書き込みをしてしまったが、もしかしたらMaybe-naさんが指し示す非モテという言葉は違う概念かもしれないので、以下は「自分が感じた」非モテを元の発言ということを留意していただきたく思う。
とあるプロジェクト(ここでは名前を伏せさせてください)に末席ながらも参加させてもらって、また非モテオフからずっと非モテ界隈を時たまに覗かせてもらっている身として言わせていただくと、恐らく非モテは精神的な安息が欲しいのではないだろうか。
で、この精神的な安息というのが非常に曲者で、安息のために用いられるコミュニケーションにはもちろんセックスという選択肢も含まれるが、それは必ずしも必要ではないのではないか、というのが最近いたった私の推論である。
つまりは、セックス(性欲の充足)も重要な問題だが、それにもまして精神的な充足が重要である、ということだ。
電波男で本田透がかなりの分量を割いて紹介してたkeyのギャルゲー群は、さほどセックスを重要視していない作品であり(そして新作は全年齢対象であり、セックスシーンが存在しない)、id:republic1963氏による、ゲゲゲの鬼太郎のパロディとして発表されている非太郎の連作エントリーの最後で、必ず非太郎たちがAVを借りに行っているというのも「性欲は解消され、満たされている」ということのメタファのように読める。
では、果たしてid:Maybe-naさんが上げられたような彼女たちと付き合って、セックスはできても非モテは精神的な充足を得られるのだろうか?
……そんなこと、恐らく誰にも分からないだろう。確かに外面は受け入れてくれるだろうが、では、もう一つの顔である内面はどうか?「付き合ってみたが、お互いの相性が合わなかった」という場合は定番のわかれ文句だ。そして非モテは恐らく、その部分も含めて恋愛に対して臆病になっているのではないだろうか。
“恋愛至上主義”という概念が非難されているのは、そのシステムがイケメンを頂点とするヒエラルキー構造をしているからではない。その搾取の構図が、自分を脅かしているからだ。“恋愛至上主義”から逃れ、あるいはid:umeten氏のように現在の社会システムを呪い、そして自らの精神的な充足を図るため、新しい道を模索する――さて、その道とは一体どこに存在するのか?
……だから、非モテ問題は根深いのだと思う。……解決できるのかね、こんな問題。
追記:ちょっと書き飛ばしてしまって、またピントがずれてしまった文章のように思える。id:Maybe-naさんにはそんな文章でトラックバックを飛ばして申し訳ないとおもい、[これはひどい]タグをつけられてもしょうがないな、とか後悔しているが、性欲による充足と、精神的充足は違う。ということを主張したいがために、あえてこのエントリーを上げさせていただいた。「精神的な充足」と「性欲による充足」については、細々と予告させてもらっている「同人における獣人文化圏について」というエントリにて説明していきたい。<長々と書いておいて結局これCMってオチかよ!
20060602
オタレイバー2について
[オタク][ネタ]『オタレイバー2 the Movie 〜AKIBA War〜』
CinemaScape/ブレードランナーより「kiona」氏のレビュー。
こんな映画の記憶も、いずれは消える。
文明がどこまで発達しようと、自分が存在する意味を教えてくれることは決してない。いや、それは、文明それ自体にも、それを織り成し未来を勝ち取ろうとする人類の営みそれ自体にも、絶対的な意味なんてありはしない、そんなブラックホールのような真実の一端に過ぎない。そう、僕らもやがては絶滅する。営みの記憶とともに。
(中略)
やまない酸性雨、溶かされた鉄と油の匂い、明るすぎる夜、ねむれない都市、湿っているはずなのに、どこまでも乾いた空気、全ては架空、影であるに過ぎない。しかし、それらは確かに現実を映した影なのだ。だからこそ、この映画の全てが愛しい。そして、こんな映画の記憶もいずれ失われてしまうということが、どうしようもなく悲しい。何故なら、虚像が消えるなら、実像もまた消えずにはいられないからである。
記憶の断絶=絶対的な死・・・消滅。“僕”が死ぬことは絶対的に悲しく、それ以上に、“僕ら”が滅んでしまうことは、とてつもなく悲しい・・・
あのレプリは僕たちだ。
或いは、映像の世紀第3集で引用された、ある文章より。
時代の流れは確実に変わりつつあった。
明るさ・華やかさ・生命力。
そんなさまざまな要素が混じり合いながらそこかしこに溢れ出し
一つの空気を作り上げはじめていた。
この時代ではっきり覚えていることがある。
私はタクシーに乗っていた。
車はちょうど藤色と薔薇色に染まった夕空の下、
ビルの谷間を滑るように進んでいる。
私は言葉にならぬ声で叫び始めていた。
そうだ、私にはわかっていたのだ。
自分は望むものすべてを手に入れてしまった人間であり、
もうこの先、これ以上幸せにはなれっこないのだということを。
このエントリーを書こうと思い立ったのは、あるオタクの友人からこういうことを言われたのがきっかけだった。
「ちょっとさ、友人が久しぶりに面白くないアニメ見たって。ワンワンセレプーっていう、君が見てるアニメ」
この一言で、私はオタクは死んだことを確認し、こう切り替えした。
「ふーん。なら、獣王星かハルヒでも見といたら?」
わたしたちは飽和した。アニメーションは週に50本以上が放映される時代になり、種類もさまざま。わたしたちはそのなかから好きなものを取捨選択して視聴してオタクライフを過ごす。
昔とは違う良き時代に、わたしたちは暮らしているのだ。
昔はアニメというと、子供が見るものと決まっていた。文化として認められていなかった。アニメに与えられる賞といえば大藤信郎賞ぐらいしか存在せず、押井守は「(アニメを煽てておきながら)アニメを映画として認めてこなかった。現に日本アカデミー賞にはアニメーション映画部門がない」といった趣旨のことばを残している。
しかし今は違う。ジブリアニメが国民的アニメとなり、2001年、「千と千尋の神隠し」が国内外でさまざまな映画賞を受賞。また、文化省メディア芸術祭など、アニメは作品として“評価”される機会が多くなった。カウンターカルチャーだったアニメは、いまや“日本が誇る文化の一つ”となり、ひろく大衆の支持を集める存在となったのだ。
そしてそういった環境は、「生まれながらにしてオタク」という環境と現象を生む。メインカルチャーの一つになったということは、カウンターカルチャーをプッシュするのに必要な理論武装が必要なくなったことを意味するからだ。「何で大人になっても、そんな子供っぽいもの見てるの?」と訊かれても、反論する必要がなくなったのだ。昔はそれに反論するために、オタクとしての生き様をさらす必要があったが、今は逆に、その一言が時代遅れになっている。朝と夕方の子供向けアニメのほかに、若者たちのために深夜向けアニメがある。また、「エンジェル・ハート」や「アカギ」のような大人向けアニメも、同時間帯に放送している。アニメはもう、子供だけではなく、様々な世代に向けて発信されるメディアになっている。わたしたちはそうやって、自らの成長に合わせて視聴するアニメを変えて行けばいい。子供向けアニメなんて見なくていい。子供向けアニメにこめられた(かもしれない)製作者のメッセージなんて、大人や若者は耳に傾けなくてもいい。なぜなら我々向けに最適化されるよう、あらかじめチューンナップされたアニメがあるからだ。それを黙って見ればいいのに、何故わざわざ別世代向けに作られたアニメを見る必要があるのだろうか?
しかしいくらアニメが世代わけされて作られているとはいえ、「どんなアニメであろうと、そこには製作者のこめられた願いがある」という意味において、全てのアニメは作品として平等なのを忘れてはいけない。
――話を昔に戻す。昔のアニメーション雑誌は、(手持ちのものを確認する限り)子供向け、青年向け問わずにアニメを取り上げ、評論していた。おなじようにアニメーションに魅せられた昔のオタク達は、子供向けアニメの中にもしかしたら込められているかもしれないかすかな光――製作者のこめられた願いを、必死になって探っていた。そうして、かれらはアニメが“作品”として成立するのに必要な要素――作家性を発見していった。
その営みを続ける者の一人に、切通理作という人物がいる。彼についての業績は、自著「怪獣使いと少年」に詳しい。ウルトラマンをはじめとする、子供向けメディアから様々なメッセージを受け取っていたそんな彼が、今回の岡田斗司夫主催イベントである「オタク・イズ・デッド」に対して、こんな一文を寄せている。
「蝿蚊の恐怖・オタクの終焉」
アートやサブカルは特権性が持てる。こういうものが好きなのは自分たちだけだ、カッコイイって示せる。でも僕が好きなものはガキの残りカス。永遠に完全には自慢できない。
でも僕は、そういった、子どもたちとか大勢の人間が一回簡単に通過しうるものにしか細部への情熱すらもてないんですよ。なんでだろう。
時代は、「好きなものを自分で決められる知性と偏見に屈しない精神力」から、「大量に送られてくる情報をいかにすばやく取捨選択し、消費していくか」へと変わった。
そんな中、時代に適応できない彼ら――或いはわたしたちを、私はパトレイバー2に出てきたキャラクター達になぞらえ、前回のエントリーを上梓させていただいた。
疲れきった表情の、元第二小隊の面々。
あるいは晴れやかな表情で、東京を睥睨する柘植行人。
わたしたちはとうとう、彼らに追いついてしまったのだ。
20060601
新作アニメ オタレイバー2 the Movie 〜AKIBA War〜
オタク・イズ・デッドがよくわからなかったので、アニメの紹介風に整理してみたよ。
■あらすじ (amazonより引用)
ロフトプラスワンに投下された1発の涙と情報操作により架空の戦時下におかれた秋葉原。何者によってこの状況は作り出されたのか、その目的は何か。事態を収拾するため、すでに別々の部署に配属されていた特車2課第2小隊『オタレイバー』の面々が再び集結する――
■オタレイバーとは?
サブカルチャーの急速な発展と共に、あらゆる分野に進出した汎用人間型ヒキコモリ機械『オタク』。しかし、それはオタクの内輪もめと呼ばれる新たな社会的脅威をも生み出すことになった。警視庁は続発するオタクの内輪もめに対抗すべく本庁警備部内に特殊車輌二課を設立し、これに対抗した。通称「特車二課」、パトロール・レイバー中隊――『オタレイバー』の誕生である。
■ハイライトシーン紹介(機動警察パトレイバー/劇場版二作の全台詞より引用)
篠原遊馬「メイド課から出向して3ヵ月か。大分慣れたみたいじゃないか」
泉野明「全然。遊馬も被ってみればいいんだよあのネコミミ」
篠原遊馬「試したさ」
泉野明「それで」
篠原遊馬「背中や腰の下にしっぽが付いてるみたいで気持ち悪い」
泉野明「でしょ。どうして今までのメイド服じゃいけない訳」
篠原遊馬「メイド服のオプションコスチュームとしてはあれが理想なんだ。
眼鏡っ娘、ロリ属性、ツインテール。ツンデレだけじゃ追い付かないんだよ」
泉野明「何それ」
篠原遊馬「“普段はツンツン、二人っきりの時は急にしおらしくなって
デレデレといちゃついてくる”ようなタイプのヒロインだよ。ツンツンデレデレ
それにな。オタクにしたって、発見された当時は同じような反応があったんだぞ。
萌えがオタクだけのもんじゃなくなって何年経つ。人間何にだって慣れちまうもんさ
泉野明「でもね」
篠原遊馬「分かった分かった。じゃあ気分なおしにぷにケット行こう。な」
オタ第二世代の人
オタ第二世代の人「後藤さん。あんたはやっぱり噂通りの人だ。私の人選は間違っちゃいなかったよ。
オタ第二世代の人「だが、オタクとサブカルが二本とも虚構だったとして、
オタ第二世代の人「ロフトプラスワンの涙だけは紛れもない現実だ。違うかね。
オタ第二世代の人「座席の背にあるファイルー―
オタ第二世代の人「岡田斗司夫。例のグループの創立以来のメンバーで、現在所在不明。
オタ第二世代の人「我々が全力を挙げて捜している、第一級の容疑者だ。
オタ第二世代の人「オタ稼業に関わる者なら、その名前位は知ってると思うが
オタ第二世代の人「仕事柄、我々はこの手の人捜しが苦手で。
オタ第二世代の人「事が事だけに(口の軽い)オタクに持ち込むわけにもいかなくてね」
後藤喜一 「一応俺達もオタクなんだけど」
オタ第二世代の人「後藤警部補はあちこちに強力なパイプをお持ちだそうですな。
オタ第二世代の人「それに、特車2課の超法規的活動、いや活躍と言った方がいいのかな、噂は常々」
後藤喜一 「大変な誤解ですな。お宅と同じ、只のオタクですよ」
オタ第二世代の人「後藤さん。マニアとして、オタクとして、俺達が守ろうとしているものってのは何なんだろうな
オタ第二世代の人「宮崎勤から十数年。第三世代の萌えオタは、
オタ第二世代の人「生まれてこの方、戦争なんてものは経験せずに生きてきた
オタ第二世代の人「萌え
オタ第二世代の人「俺達が守るべきはずの萌え“オタ”
オタ第二世代の人「だがこの国のこの秋葉原の萌えオタとは一体何だ?
オタ第二世代の人「かつての総力戦とその敗北、GAINAXの占領政策、
オタ第二世代の人「ついこの間まで続いていたサブカルによる冷戦とその代理戦争。
オタ第二世代の人「そして今も世界の大半で繰り返されている内戦、
オタ第二世代の人「民族衝突、武力紛争。
オタ第二世代の人「そういった無数の戦争によって合成され支えられてきた、血塗れの経済的繁栄。
オタ第二世代の人「それが俺達の萌えの中身だ。戦争への恐怖に基づくなりふり構わぬ萌え。
オタ第二世代の人「正当な代価を余所の国の戦争で支払い、
オタ第二世代の人「その事から目を逸らし続ける不正義の萌え
後藤喜一 「そんなきな臭い萌えでも、それに悶えるのが俺達の仕事さ。
後藤喜一 「不正義の萌えだろうと、正義の戦争より余程ましだ」
オタ第二世代の人「あんたが正義の戦争を嫌うのはよく分かるよ。かつてそれを口にした連中にろくな奴はいなかったし、
オタ第二世代の人「その口車に乗って酷い目にあった人間のリストでオタクの図書館は一杯だからな。
オタ第二世代の人「だがあんたは知ってる筈だ。正義の戦争と不正義の萌えの差はそう明瞭なものじゃない。
オタ第二世代の人「萌えという言葉がライトオタク達の正義になってから、俺達は俺達の萌えを信じることができずにいるんだ。
オタ第二世代の人「カウンターカルチャーが萌えを生むように、萌えもまた二次カウンターカルチャーを生む。
オタ第二世代の人「単に戦争でないというだけの消極的で空疎な萌えは、いずれ実体としての現実によって埋め合わされる。
オタ第二世代の人「……そう思ったことはないか。
オタ第二世代の人「その成果だけはしっかりと受け取っておきながらモニターがある自室の向こうに戦争を押し込め、
オタ第二世代の人「ここが現実の単なる後方に過ぎないことを忘れる。いや、忘れた振りをし続ける。
オタ第二世代の人「そんな欺瞞を続けていれば、いずれは大きな罰が下されると」
後藤喜一 「? 誰が下すんだ。神様か」
オタ第二世代の人「この街では誰もが神様みたいなもんさ。
オタ第二世代の人「いながらにしてその目で見、その手で触れることのできぬあらゆる現実を知る。
オタ第二世代の人「何一つしない神様だ。
オタ第二世代の人「神がやらなきゃ人がやる。
オタ第二世代の人「いずれ分かるさ。俺達が奴に追い付けなければな」
オタ第二世代の人「秋葉原はオタクで一杯。誰もその役を望んじゃいないのにな。素敵な話じゃないか。
オタ第二世代の人「これが俺達の萌え文化ってやつさ。
オタ第二世代の人「オタキングは10年前サブカルを敵に回したのと同じルールで
オタ第二世代の人「今度は俺達がどんな戦争をするのか、それを見たがっているのかもしれんな」
後藤喜一「戦線から遠退くと2ちゃんねるが現実に取って代る。そしてニュー速VIPの場では、
現実なるものはしばしば存在しない。現実に負けている時は特にそうだ」
海法総監「何の話だ。少なくともまだ戦争など始まってはおらん」
後藤喜一「始まってますよとっくに! 気付くのが遅過ぎた。オタキングがこの国へ帰って来る前、
いやその遥か以前から戦争は始まっていたんだ」
後藤喜一「そりゃまあ不平や不満はあるでしょうけど、今秋葉原で反乱を起こさなきゃならんような理由が
例え一部であれオタクの中にあると思いますか。
しかもこれだけの行動を起こしておきながらオタ論壇の占拠もオタク的アジテーションもなし。
そんなオタクの内輪もめがあるもんですか
オタク的アジテーションが出ないのは、そんなものが元々存在しないからだ。
オタクという概念を破壊し混乱させる。それが手段ではなく、目的だったんですよ。
これはオタクの内輪もめを偽装したテロに過ぎない。それもある種の思想を実現するための確信犯の犯行だ。
戦争状況を作り出すこと。いや、秋葉原を舞台に戦争という時間を演出すること。
犯人の狙いはこの一点にある。犯人を捜し出して逮捕する以外に、この状況を終わらせる方法はない」
榊清太郎「しかし分からねえな一体何のために」
後藤喜一「想像はできますが捕まえて聞くのが一番でしょうね。じゃ、出かけますんで、後はよろしく」
泉野明「私、いつまでもアニメやまんがが好きなだけの女の子でいたくない。
アニメやまんがが好きな自分に甘えていたくないの
お願い。車出して」
後藤喜一 「第二世代さん。あんたの話面白かったよ。欺瞞に満ちた萌えオタクと真実としての戦争。
後藤喜一 「だがあんたの言う通り秋葉原の萌えが偽物だとするなら、奴が作り出した戦争もまた偽物に過ぎない。
後藤喜一 「この街はね、リアルな戦争には狭すぎる」
オタ第二世代の人「戦争はいつだって非現実的なもんさ。戦争が現実的であったことなど、ただの一度もありゃしないよ」
後藤喜一 「なあ、俺がここにいるのは俺がオタクだからだが、あんたは何故オタキングの隣にいないんだ」
涼宮ハルヒ 「行こうか」
オタキング「ここからだと、秋葉原が蜃気楼の様に見える。そう思わないか」
南雲しのぶ「例え幻であろうと、あの街ではそれを現実として生きる人々がいる。それともあなたにはその人達も幻に見えるの」
オタキング「3年前、秋葉原に戻ってから俺もその幻の中で生きてきた。そしてそれが幻であることを知らせようとしたが、
結局最初の砲声が轟くまで誰も気付きはしなかった。いや、もしかしたら今も」
南雲しのぶ「今こうしてあなたの前に立っている私は、幻ではないわ」
南雲しのぶ「我オタクに平和を与えんために来たと思うなかれ。我汝等に告ぐ、然らず、むしろ争いなり。
今から後オタク集団に5人あらば3人は2人に、2人は3人に分かれて争わん。
父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に
オタキング「あれを憶えていてくれたのか」
南雲しのぶ「帰国したあなたが最後に開催したイベントはそれだけしか言ってくれなかった。
あの時はそれがオタ論壇での体験を伝えるものだとばかり」
オタキング「気付いたときにはいつも遅すぎるのさ。だがその罪は罰せられるべきだ。違うか」
南雲しのぶ「岡田斗司夫。あなたを逮捕します」