20090312

良いものを良いと言い過ぎる病

自分が好きなものの欠点を認めよう。 − (Something Orange-

海燕さんのこのエントリーに便乗して常日頃から思っていることを書き下だします。

一般的に何かを褒めることはいいこととされていて、その一般的正しさの上にあぐらをかいて、言っていることに責任をとるのを忘れることがままあります。
褒めて褒めて褒めちぎるあまり、「こんな素晴らしい作品を作った人は素晴らしいに違いない!」とか、作品の中の一語一文まで称賛してしまったり。もちろん褒める対象が素晴らしいものなのだろうと、理解できるにしろできないにしろ、褒める理由のなかに論理的一貫性があればいいのですが、ただ自分のフェティシズムや気持ちに形ばかりの理屈をつけ、自分を正当化したいだけの称賛というのが、世の中に存在してしまうのです。

「昔の方が良かった」とか、「子供の頃のアニメ・マンガは素晴らしく、今は駄作ばかり」とか、ですね。

こういった「関連性の低い何かと何かを比較し一方をほめちぎる」行為について、わざわざ「他の人の創作物と比べてあなたの創作物は良い」と比較しなくても、ごく単純に「あなたの創作物が特に好き」と言えばいい筈なのです。それなのにわざわざ『他の人の創作物』という言葉を使ってしまうのは、世の中に無数に存在する創作物にヒエラルキーを持ち込みたいからにほかならないからで、それは「好きなあまり対象物を特権化したがり、ほかのものを貶める」行為だと言えるでしょう。私が同人活動をしていると時折、こういう褒め言葉に遭遇し、その都度困惑しました。何故なら他に、相手にとって素晴らしいものが生まれたら、自分の創作物は相手のヒエラルキーのためにただ卑下される対象に成り下がるのですから。

好きという言葉を言うだけでは、対象物の素晴らしさは解説できません。それは自分の感情をただ発露しただけに過ぎず、それだけでは人に伝わる力をもった言葉になり得なく、それが感情に過ぎないが故に、すぐその感情は裏返る可能性を秘めているからです。
言葉を作り何かを伝えるとき、言葉に責任(海燕さんのエントリーの場合は、欠点を認めるという自制心)をこめるということ。その重みが相手へ気持ちとして伝わっていくものになるのではないでしょうか。

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