20071016

作画崩壊って単純には表現できない感情を何とか表現しようとした果てでもあるよね

というのをこのDVD版作画修正を見て思った。

確かに修正後の方が絵として「まとまって」はいるんですけど、修正前にあった冥王とまで呼ばれるようになった何かドロドロとしたニュアンスがこそげ落ちちゃっているのですね。
そのことに対する評価はさておき、思うにいわゆる神作画というのは、これまで「アニメの女性キャラの作画で、普段と違って情報量の多い作画の時に使われた言葉」とか、「キャラ表から外れないで動作が丁寧な作画」みたいなニュアンスで使われてきたけど(作画オタの人が言う神作画についてはここでは触れない)、それに加えて「手塚治虫の言うマンガ記号論的な喜怒哀楽の表情から外れない程度に、情報量が多くて丁寧な作画」という側面があるのではないか、と。そして、上記のリリカルなのはStrikerS第8話的な作画崩壊は「喜怒哀楽の記号的表現ではあらわせられない表情を組み込もうとして、筆がほとばしりすぎた」為に引き起こされたものではないかなぁ、と。


このスバルの作画修正を例にして話を進めていくのですが、まずギャルゲー&エロゲー的な、目が大きくて体や顔の凹凸が少ないキャラクターというのは顔のシワがとてもよせにくいデザインになっているのですね。
汚い絵で図示させてもらうと――

右が顔の凹凸を意識したマネキンで、左がエロゲー&ギャルゲー的なマネキンとします。大体目の周りに皺を作る皮膚脂肪の余っているポイントがで示したところで、口の周りに皺を作る皮膚脂肪の余っているポイントが黄色で示したところです。右のマネキンは頬や眉の周りに余分に肉付けしたのでかなり広い範囲から皮膚脂肪を目や口周りにもっていくことができるのですが、左のギャルゲーマネキンは皮膚脂肪をそぎ落としてしまったので、あまり皮膚脂肪を持ってくることができません。

結果、マネキンに石をぶつけて怒らせた時、右のマネキンはここまで情報量が増やせるのですが、左のギャルゲーマネキンは皮膚脂肪を持ってこれないがゆえにあまり真剣に怒らせることができません。扱える情報量の大小というのは、それがそのまま表現できる表情の多少に繋がりますので、ギャルゲーマネキンは演出によって(例:血管が浮き出ることを表現したバッテンの漫符をくっつける。絵の構図で感情を表現する)マンガ記号外に存在する感情の機微を表現しなくてはならなくなります。



おまけ:みんな大好きコードギアス。コードギアスのキャラクターデザインは鼻筋を高くし、顎を細くして頬を強調することによって皺を寄せる空間を確保している。また、口元も奥に極端にひっこめて口周りの皮膚脂肪に頼らないで感情を表現しているのもポイント。


――ギャルゲーマネキンさんが上手く感情を表に出せなくても、求められるストーリーは人物の複雑な感情を織り込んでいるものなので、作り手はなんとかしてそれをギャルゲーマネキンさんで表現しなくてはなりません。普通のマネキンを使えば容易く表現できるのですが、「喜怒哀楽の表情は記号でいい。かわいいお人形さんを愛でていたい」という人は多いので、なんとかシナリオをキャラクターに定着させようと試行錯誤した結果、StrikerS8話みたいな問題が起こってしまうのだと思います。
……だけど京アニはそういう人たちにも納得いく形でハルヒの顔を崩したり(1:47秒あたり)、観鈴の顔を崩したり(6:02秒あたり)していてすごいなぁ、と。演出の勢いの力なのですかね。ちなみにこの二つの回は共に演出・絵コンテが山本寛だったりします。

追記:はてなブックマークにて指摘を頂いたので追記。

# 2007年10月17日 kkobayashi anime そんなあなたにSHUFFLE/それは作画崩壊と違うような

SHUFFLEはすばらしかったですよねー。すごくいい崩し方であまり"ネタ”にならなかったと思います。ここらへんは空鍋(先ほどのリンク先における、ヒロインが空の鍋を延々とかき混ぜ始めるという描写の俗称)などの演出の力なのでしょうか。最近だとこういう系統の描写をしたアニメはやっぱりSchool Daysになるのでしょうか。私は12話しか見たことがないのですが、血とかショック描写とかに重点が置かれて人物そのものの描写は淡白だった記憶があります。

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コメント

なのはは修正前の方が感情表現的にイイ気がする…
スバル(?)の左は都築の絵のニュアンスと違うから修正後の方かな

何れにせよ、アニメタさんはモト絵とモト絵に無かった動きやら表情やらとの兼ね合いで作図していく訳で。
…考えてみれば大変な仕事ッスよね(;´・ω・)r=3

そんなモトネタの絵に似せて描けない(模写出来ない。のでする気も無い)へっぽこ趣味絵描きのヒトリゴト。
どうしても「自分の絵」になってしまう oTL

Posted by: : 20071017 21:36

ていうか、アニメをいっぱい見ればわかるんだけど。こういう顔芸は上手い人じゃないと
描けないんだよ。たから最近の人によく作画崩壊と呼ばれのは本当に不愉快なんだけどね。僕的にはこういうのこそアニメの真髄の一つだと思うけどね。変わらない人形がほしければエロゲをやればいいのにね。
本当にただ崩れている絵もいるんだけど。

Posted by: の : 20071017 23:20

なのはの性格設定からすると「何かドロドロとしたニュアンス」は本来なかったのでは。

Posted by: . : 20071018 04:15

コメントありがとうございます。エントリーに対する補足説明をさせていただくことで返信に替えさせていただきたいと思います。

エントリーでなのはを取り上げた理由なんですけど、それはエントリーの主眼である「顔に皺がよることによって作られる情報」みたいなものを説明したかったこともあるのですが、理由として一番大きかったのは「それが作画崩壊かどうかで意見が分かれる」作画だったからです。
3番目の匿名さんの書き込みのとおり「なのはの性格設定からすると「何かドロドロとしたニュアンス」は本来なかったのでは。」という意見は確かに正論です。白い悪魔とかファンはなのはさんの振る舞いを見て色々と妄想を働かせるのですが、まずお話の根幹として魔法少女モノというものがあり、その上でなのはさんに演技をさせて行くにあたっては、魔法少女モノから逸脱した演技は認められない訳です。なので取り上げた作画は「喜怒哀楽の記号的表現ではあらわせられない表情を組み込もうとして、筆がほとばしりすぎ」てしまったのじゃないか、というのがまず私の見解としてあります。
しかしながら、そこからは1番目の匿名さんの書き込みのとおり、「こちらは修正前のほうがいいけど、こっちは修正後のほうがいい」という意見の相違はどうしても生じてくるのではないかと思います。それはやはり、皆さんの心の中に存在するなのはさんやスバルさんの理想像には違いがあり、そこから期待される演技にも各自で差が出てきてしまうからでしょう。

私自身は能天気な性格なので、今回のことは実はあまり作画崩壊とは捉えていません。この8話の作画を作画崩壊といった知人が居て、また当時2chスレッドまとめ記事で作画崩壊と指摘されていたのを見て、それを元にエントリーを組み立てさせていただきました。8話の作画はそれを作画崩壊か否かと捉えることによって、みなさんがリリカルなのはというアニメに何を見出したのか、何を感じたのかが分かれる、興味深い事件だったと思います。

>のさん
エロゲー&ギャルゲー的キャラクターは、「可愛い」「萌え」を極限まで突き詰めたデザインですよね。実際にあんなに目の大きな人はいないのに、それでも可愛いと思ってしまうのは、「可愛い」「萌え」要素が元から詰まっているからだと思います。
ただ、アニメというのは仰るとおり、「可愛い」以外のものを表現でき得る(といったらアニメに非常に失礼なのですが)メディアですから、「可愛い」ばかりに主軸がおかれたアニメばかりを見てしまうと、どうしてもやるせない気持ちに襲われてしまいますよね。

Posted by: new : 20071018 21:10

非常に短文で申し訳ないのですが、
キャラデに忠実じゃない作画=作画崩壊という発想自体がおかしいですよね。
そもそも作画監督別で絵柄の多少のブレはあるのだから、可愛くない=作画崩壊というのはアニメートの可能性を著しく狭めていると思います。

他にも、デッサンに拘る余り、わざと崩したような画が入ることにも寛容でないですね。
ベルカ式とか、アニメなのだから移動時に体型がメタモルするぐらいでもソレが快感を伴っていればいいと思うのですが。
イラストやポストカードのように常に整っていて可愛いと思える顔じゃないと気が済まないと言うのは、実際の人物と照らし合わせても異常な傾向だと思います。

Posted by: 飛翼 : 20080127 01:35

ども、書き込みありがとうございます。「そのキャラらしくない!」みたいな反応はまっとうだとは思うのですが、あまたで言われている「作画崩壊だ!」という言説は、そういう批評的なものではなくて、「製作現場スケジュール余裕無くてざまぁwwww」みたいなニュアンスでさけばれているのが個人的には気になりますねぇ。

Posted by: new : 20080221 06:28