作画崩壊って単純には表現できない感情を何とか表現しようとした果てでもあるよね
というのをこのDVD版作画修正を見て思った。
確かに修正後の方が絵として「まとまって」はいるんですけど、修正前にあった冥王とまで呼ばれるようになった何かドロドロとしたニュアンスがこそげ落ちちゃっているのですね。
そのことに対する評価はさておき、思うにいわゆる神作画というのは、これまで「アニメの女性キャラの作画で、普段と違って情報量の多い作画の時に使われた言葉」とか、「キャラ表から外れないで動作が丁寧な作画」みたいなニュアンスで使われてきたけど(作画オタの人が言う神作画についてはここでは触れない)、それに加えて「手塚治虫の言うマンガ記号論的な喜怒哀楽の表情から外れない程度に、情報量が多くて丁寧な作画」という側面があるのではないか、と。そして、上記のリリカルなのはStrikerS第8話的な作画崩壊は「喜怒哀楽の記号的表現ではあらわせられない表情を組み込もうとして、筆がほとばしりすぎた」為に引き起こされたものではないかなぁ、と。
このスバルの作画修正を例にして話を進めていくのですが、まずギャルゲー&エロゲー的な、目が大きくて体や顔の凹凸が少ないキャラクターというのは顔のシワがとてもよせにくいデザインになっているのですね。
汚い絵で図示させてもらうと――
右が顔の凹凸を意識したマネキンで、左がエロゲー&ギャルゲー的なマネキンとします。大体目の周りに皺を作る皮膚脂肪の余っているポイントが緑と赤で示したところで、口の周りに皺を作る皮膚脂肪の余っているポイントが黄色で示したところです。右のマネキンは頬や眉の周りに余分に肉付けしたのでかなり広い範囲から皮膚脂肪を目や口周りにもっていくことができるのですが、左のギャルゲーマネキンは皮膚脂肪をそぎ落としてしまったので、あまり皮膚脂肪を持ってくることができません。
結果、マネキンに石をぶつけて怒らせた時、右のマネキンはここまで情報量が増やせるのですが、左のギャルゲーマネキンは皮膚脂肪を持ってこれないがゆえにあまり真剣に怒らせることができません。扱える情報量の大小というのは、それがそのまま表現できる表情の多少に繋がりますので、ギャルゲーマネキンは演出によって(例:血管が浮き出ることを表現したバッテンの漫符をくっつける。絵の構図で感情を表現する)マンガ記号外に存在する感情の機微を表現しなくてはならなくなります。
おまけ:みんな大好きコードギアス。コードギアスのキャラクターデザインは鼻筋を高くし、顎を細くして頬を強調することによって皺を寄せる空間を確保している。また、口元も奥に極端にひっこめて口周りの皮膚脂肪に頼らないで感情を表現しているのもポイント。
――ギャルゲーマネキンさんが上手く感情を表に出せなくても、求められるストーリーは人物の複雑な感情を織り込んでいるものなので、作り手はなんとかしてそれをギャルゲーマネキンさんで表現しなくてはなりません。普通のマネキンを使えば容易く表現できるのですが、「喜怒哀楽の表情は記号でいい。かわいいお人形さんを愛でていたい」という人は多いので、なんとかシナリオをキャラクターに定着させようと試行錯誤した結果、StrikerS8話みたいな問題が起こってしまうのだと思います。
……だけど京アニはそういう人たちにも納得いく形でハルヒの顔を崩したり(1:47秒あたり)、観鈴の顔を崩したり(6:02秒あたり)していてすごいなぁ、と。演出の勢いの力なのですかね。ちなみにこの二つの回は共に演出・絵コンテが山本寛だったりします。
追記:はてなブックマークにて指摘を頂いたので追記。
# 2007年10月17日 kkobayashi anime そんなあなたにSHUFFLE/それは作画崩壊と違うような
SHUFFLEはすばらしかったですよねー。すごくいい崩し方であまり"ネタ”にならなかったと思います。ここらへんは空鍋(先ほどのリンク先における、ヒロインが空の鍋を延々とかき混ぜ始めるという描写の俗称)などの演出の力なのでしょうか。最近だとこういう系統の描写をしたアニメはやっぱりSchool Daysになるのでしょうか。私は12話しか見たことがないのですが、血とかショック描写とかに重点が置かれて人物そのものの描写は淡白だった記憶があります。
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