20070708

果たして誰が柘植の役目を引き受けるのか?

自分はどっちかというと非モテっちゃ非モテであり、また非モテでありたいと思っているのだが、ここ最近非モテ界隈に積極的にコミットしていないのもあり、6.30アキハバラ解放デモについては積極的な言動を避けて野次馬根性でウォッチさせて貰っていた。
結局、解放デモはこことかここを読めば分かるとおり「面白いことやりたいね」みたいなノリで始まったデモであり、今回のデモ自体にも「面白ければいいじゃん」以上の意味を感じられない。だがしかし、参加する人、Watchする人の中にはなんらかの意図を持って解放デモに思い入れを抱く者もあり、mixiコミュでのこれなんて、まさに「炎上させたい」から解放デモに「ありもしない意図」を見出して運営を煽っている、としか見えようがなかった。おお、これって解放デモの「なんかやりたい」から解放デモで「思い思いの服装で、思い思いのパフォーマンスで、思い思いの表現」をしてもらったということと相似形じゃないか!結論:自業自得
――と、運営側の失態をつついてデモを表現するのはたやすいが、それでは周囲の人が抱いた思い入れの行き場がない。それに私はアキハバラ解放デモを“オタク”の人がどう捉えるかということについてずっと注視していて、突如現れた場、あるいは秋葉原に出現したブラックホールをどうオタクは『表現』したかによって、今のオタク像――彼らが何を求めているかについて分かるように思った。そうした上で、以下のエントリーを私は大変興味深く読ませていただいた。

アキハバラ解放デモとソレへの批判に対する雑感と『オタク』 - 記憶のメモ帖


なにやらコミケと対比してアキハバラ解放デモを表現されているのですが、


だいち(原文ママ)オタクのイメージ云々を言うのならば、コミケ等の方がよっぽどオタクのイメージについて影響を与えてるし、迷惑さ加減でも周辺地域や交通機関に多大な影響を与えている。


EEEEE−(´д`)多大な迷惑や影響を与えるコミケ」て、あんさんどんだけコミケ嫌いなんですか(汗)。というかビッグサイト自体立地条件を見てもらったら分かるとおり周りはコンテナ埠頭だったりオフィスビルが申し訳なさそうに立ってたりと迷惑こうむりそうな住人さんが居られなさそうな雰囲気ですし、交通機関といわれましても観客人数90万人という記述がある隅田川花火大会どのようにしてその膨大な観客さんを裁いておられるのでしょうか。お祭り戦線は複雑怪奇でございます。確かにコミケは1日辺りの参加者は15万人と言われ、朝や16時頃のりんかい線ならびにゆりかもめはいたく混雑いたしますが、こういった祭りに対して津波のように人間が押し寄せるという光景はオタク@即売会に限らず全国各地で目撃される現象でございます。これを迷惑と言うならば、そういった長いものに巻かれろ精神が強い日本人の存在自体迷惑と言ってしまうのが宜しいでしょう。


コミケの理念や目的が素晴らしいから支えてるってのもあるだろうが、やはり一番はコミケによって多くの者達が何らかの利益を得られるがゆえに、多大な迷惑や影響を与えるコミケでも皆して支え盛り上げているというのが本音じゃないだろうか。そういう意味では色んな物を受け入れ飲み込み、肥大化という道を歩んだコミケの方針は正しかったのだろう。


人がコミケそれ自体に対してバッシングをしないのは、確かに参加することによって好きな作家さんの同人誌が買えたり(同人誌が買える場所はたいていの場合において即売会だけだ!)するというメリットがあるからでしょう。でも利益があるからといってバッシングをしないとか、事態はそんな単純なものではないはずです。それは運営側もおそらくまた然り。確かにコミケがすべてを許容し、拡大化していった背景には戦略的な面もあるかもしれないですけど、戦略だけでは人間生きていけませんよ?特にこの方がやり玉に挙げている「儲けを追求するサークルや買い専の一般参加者」、果たしてどれくらいの売り上げをあげたサークルが「儲けを追求した」ことになるのか、買い専の何が悪いのかがまったく触れられていないのは如何なものでしょうか。たとえばここに内容のカケラもない二次創作エロ本が落ちていたとして、それは儲けを追求したためにマスプロ的に作られたのか、それとも「自分にはストーリーのセンスがないけど、絵を描いて表現したいという欲求がある!」という芸術的な衝動で作られたものなのか、どうやって判断するのでしょうか
排除しないのは、単純に排除できないからであり、芸術というものが不確定要素に支配されているものである限り、「儲けを追求するサークル」を排除する規定を作ることによって、さきほど例示した後者のような立場の方を排除する危険性を帯びてしまいます。著作権法など、法律に違反しない限り排除しないということこそが、「表現したい人が表現する場」として作られたコミケの理念に合致するのです。
あと、買い専はレビュワー的な立場があるよ、ということで1行でざっくりと。もし買う側の問題を挙げるとするならば転売屋の存在でしょうか。これも運営が動いてどうにかなる問題でもないということでパス。ヤフオクで売る人、買う人或いは中古屋同人誌に売る人、買う人の問題です。そしてレイヤーはきちんとした表現活動ですし、企業参加者については……いまいちピンとこないので個人的な感情から言わせていただくと、同人誌を売っている場所と企業ブースは別々のところに位置しているので(同人誌を売っている所は東西1階ホールで、企業ブースは西館4階)、あまり意識したことがなかったりします。つまりゾーニングができている、ということになるでしょうか。
ちなみに利益というと、コミケはクリエイターの土壌になっているというところが触れられていないのは何故でしょうか。企業は横っちょに置いておいて、コミケは作り手、受け手において自らの内的向上を図れる場所であり、一般参加者の方々も、コミケがクリエイターの登竜門的な役割を担っているということを把握されていると信じてやまないので、利益という暴力的な一言によってまとめて欲しくないという生理的感情が私にはあります。


しかし、私はアキハバラデモのような祭りがあっても良いと思う。あ〜いう自己表現の仕方や、する場が有っても良いと思うし、「オタクはそんな事をしない」とか勝手に枷をはめる必要もない。作品を創作するだけがオタクでは無いし、コミケのような祭りの場を創作する事も、そこでコスプレをしたり主張をしたり踊ったり歌ったりする事も、オタクであろうがそうでなかろうが、十分自己表現として尊重すべきだ思う。


そうですね。しかしながらコミケがアキハバラ解放デモと一緒の文章に投入されているところに拘泥たるムニャムニャを覚えざるおえないので、もう一つコミケとアキハバラ解放デモの違いについて述べさせて頂こうと思います。
まずコミケは巨大な内向きの祭りです。その理由としてコミックマーケット準備会は一切の宣伝行為を行っていません。そしてアキハバラ解放デモは何らかのメッセージを外部に伝える小さいながらも外向きの祭りです。この違いはとても大きく、コミケはいくら巨大であっても内向きである限りオタクやオタク文化という概念を混乱させるものにはならないのですが、アキハバラ解放デモは「われわれ」を外向きに発信するが故に、オタクやオタク文化という概念を混乱させる要素となってしまうのです。私自身は色々なオタクが居ていいと思うので、アキハバラ解放デモについてはスルーを決め込んでいる訳ですが(つまり否定はしない)、いきなりよくわからん人がオタくさくないしょっぱいデザインと内容のHPを立ち上げていきなり「抑圧されてるから解放せよ」とか言い出したら、それまでずっとオタクをされてきた人びとにとっちゃ「なんだキミ達は」という第一印象を持っちゃうのが普通じゃないのでしょうか*1(もちろん運営側にとっては、いきなり現れた半匿名さん達に対して「突然何を」と感じるというすれ違いが起こってしまう訳ですが……)。彼らとは対照的に、本田“非モテ('A`)”透は「日刊アスカ」ないし「しろはた」で下積みを積んだ後、イベントを行うにしろ、東京地下深くに存在する新宿ロフトプラスワンで行うなど*2、従来のオタイメージに合致した営業戦略を図った結果、女の人には相変わらずモテないですが年長のオタの人たちにモテモテになることができました∩( ・ω・)∩ 。
――もちろん、オタクの「上がり」は年長のオタの人たちにモテモテになることそれのみではありません。時には斬新なイベント&ムーブメントを引き起こし、オタクのアイディンティティを揺さぶってこそイノベーターと成り得るのです。しかしここで忘れてはならないのが、オタク界隈における偉大なる先人である所の柘植行人(つげ ゆきひと)という人物です。

柘植行人は『パトレイバー2 the Movie』というアニメの作中において発生した一連のテロ事件の首謀者であり、登場人物に「政治的要求が出ないのは、そんなものが元々存在しないからだ。(中略)これはクーデターを偽装したテロに過ぎない。それもある種の思想を実現するための確信犯の犯行だ。戦争状況を作り出すこと。いや、首都を舞台に戦争という時間を演出すること。犯人の狙いはこの一点にある。」と表現されています。
私はこの一文にアキハバラ解放デモのすべてが詰まっていると考え、その上で以下を結語とさせて頂きます。
「パトレイバー2」において柘植は、最後に主人公達に逮捕され、ヘリコプターに乗せられて連行されていきます。そこで映画は終わるのですが、そのヘリコプターの中で以下のような言葉を交わしています。*3

松井「一つ教えてくれんか。これだけの事件を起こしながら、何故自決しなかった?」
柘植「もう少し、見ていたかったのかもしれんな」
松井「見たいって、何を」
柘植「この街の、未来を」

まぁ非モテに限らず、オタクの中においても――とりあえず私が活動しているジャンルで喩えさせて頂くと、やたらと「クロノアまじ感動した!いいね!友情っていいね!涙ちょちょきれた!こんなゲームないね!」とヒステリックに叫び、「ヌヌヌゥー!クロノア3はまだか!まだかー!続編希望!続編んんんんんー!キキキーーー!ナムコーーーー!」と発狂し、様々なネット活動(問題行動を含む)を行った結果、1年2年程度で熱が冷め、HNを変更して他の動物キャラが出てくるゲームにハマり、クロノア界隈からフェードアウトしていくみたいな現象が多々観察されるわけですが、果たして解放デモを運営された方々は、柘植と同じように自決しないで生き残って頂けるのでしょうか。彼らにこの街の未来を見る力は残されているのか、これから非モテの人がどう活動していくかについて、盲目的な賛同をせず、注視していく必要があるように思えます。コミックマーケットの故・米澤嘉博代表はまさにコミケに一生を捧げて亡くなられた訳ですが、もし今後も覚悟ある運営を続けられないということでしたら、結局はアキハバラ解放デモはネットで散発的に起こる炎上という名の祭りと同種の、無責任な内容になってしまうのではないでしょうか。私としては運営の方々に、暴徒的なカオスではなく、意思を持ったアジテーターであって頂きたい。自由とカオスが紙一重であるように、「ボクらが自由に楽しく生きられる社会を作」るためには、もう少しの努力を怠らない必要があるのでは、と思います。


*1:ちなみにmixiを見て回った限りでは、30代の人が解放デモに主に否定的で、20代の人が解放デモに主に肯定的という印象を受けました。

*2:
___________________
       |バレンタインシェルター|     
 ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄ ̄
   |                    |
   |                    |    
   |                   |
   |                   |
   |                    |  
   |                    |  
   |                   |  
   |('A`)___________| 

*3:「機動警察パトレイバー2 the Movie/全台詞」より引用

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コメント

ちなみにこの記事についての話を知人としている最中、以下の文章を教えて頂いた。
岩田 次夫著『同人誌バカ一代―イワえもんが残したもの 』P37〜P38より引用。岩田 次夫は昔からのコミックマーケットの参加者にとって、神格化(妖精化?笑)されている人物である。

本はこちら:http://www.amazon.co.jp/dp/4765900495
人物はこちら:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E7%94%B0%E6%AC%A1%E5%A4%AB


(前略) コミケットからも疎外される人々 実はこのような屈折した心のみができる人は、まだ幸せだと言えるかもしれません。問題になりつつあるのは、こうした試みさえできない層が、この数年間、一貫して広がってきていることです。この層は、積極的なコミュニケーションはできませんし、関係を構築することもできません。自らのアイデンティティを構築する(たとえばツギハギであったり、矛盾していても)こともできません。行列に並ぶことや、何かを所有することをアイデンティティに転化したり、「共同体」の証に置き換えることもできないのです。この層は、コミケットから疎外された層なのです。
 コミケットという存在が、社会的に疎外された層にとってのユートピアというか「互いの居心地が良い」「閉ざされた共同体」であったことは今まで書いた通りです。悲劇的なのは、今問題になっている層は、そうしたコミケットからもさらに疎外されているということです。しかしながら、この解決策だけは全く無いのです。


ちなみにこの文章が書かれたのが1998年のことだそうで、書かれている「疎外された層」というのが、非モテの方々とオーバーラップしてやまない……。

Posted by: new : 20070708 19:33

え〜どうも、はじめまして。
トラバをいただいた、記憶のメモ帖のキールです。

なんか、幾つか誤解あるようなので二言三言。
まず、私はコミケの事は嫌ってはいません。あそこでコミケを出したのは、『迷惑』という言説を相対化させるために出したまでで、別にコミケに対してネガティブな感情はもってはいません。貴方が隅田川花火大会を例に出してコミケを相対化させたように、私は『迷惑』という言説においてコミケを例に出してアキハバラデモを相対化させたまでなのです。
なので「これを迷惑と言うならば、そういった長いものに巻かれろ精神が強い日本人の存在自体迷惑と言ってしまうのが宜しいでしょう。」ってのは非常に同感ですし、私が言いたかった事でもあります。

そして、「果たしてどれくらいの売り上げをあげたサークルが「儲けを追求した」ことになるのか、買い専の何が悪いのかがまったく触れられていないの」とか「コミケはクリエイターの土壌になっているというところ」を触れないのは、ひとえに面倒くさいからです(ぁ
だって、アキハバラデモに直接関係ない事じゃないですか。
いちいち触れるのもどうかと思ったのですよ。それこそ書き出したらえらい長文になりそうな事ですし・・・。
つまり貴方が隅田川花火大会の歴史とか伝統とか意義とか由来とかを、もろもろはしょったように、私は買い専云々とかを色々はしょったのです。
そもそも、私は儲けに走るサークルやら買い専の一般参加者に対しても、別にネガティブな感情など持ってはいませんし。あくまで一つの例として出しただけなのです。(つか私自身も買い専の一般参加者だし)
基本的にあの記事は、アキハバラデモもコミケも同じ『祭り』という認識で書いた記事なので、あまり個々の細かい所には言及してはおりませんし、そのつもりもありませんでした。
なので、少し配慮を欠く書き方になってしまったかもしれませんし、その点については申し訳なく思っています。

Posted by: キール : 20070710 20:50

はじめまして。当ブログの管理人のnewです。コメントいただき有難うございます。
私は当該記事中のコミケの記述の間違いが気になって記事をしたためたというのがまずありまして、その点についてご理解いただけなかったようなので、当コメントにてもう一度書き進めさせて頂きます。

>貴方が隅田川花火大会を例に出してコミケを相対化させたように、私は『迷惑』という言説においてコミケを例に出してアキハバラデモを相対化させたまでなのです。
私はコミケを『迷惑』という意味合いにおいて相対化することに対して問題ではないかと指摘しています。今のエントリーのままでは「コミケのほうがよっぽど迷惑だ」と読み取ってしまいかねないと思うのですが、如何でしょうか。もし私の記事中の表現が「言いたかったこと」でもあれば、わざわざコミックマーケットという特定のイベントのみを取り上げず、イベント全般についての言説に書き直された方が宜しいかと思います。

>だって、アキハバラデモに直接関係ない事じゃないですか。
直接関係ないことをわざわざ取り上げる、というのは良く分からないのですが。つまり『コミケの一部分だけを取り上げて比較したかった』ということでしょうか。私としては確かに“アキハバラデモもコミケも同じ『祭り』”であるかもしれませんが、性質が全く違うものなので、比較するためには慎重にしなくてはならないと思うのですが。そのために、私はコミケの特色を例示させて頂いたまでです。

>ひとえに面倒くさいからです(ぁ
その部分はその後の「法律に違反しない限り排除しないということこそが、「表現したい人が表現する場」として作られたコミケの理念に合致するのです」という部分はお読みになられたでしょうか?キールさんが「もしコミケがその理念を厳密に実行し、企業参加者やコスプレイヤー、儲けを追求するサークルや買い専の一般参加者を排除していたら」と書かれていたので、それの反論として記述させて頂いた部分なのですが。

>隅田川花火大会の歴史とか伝統とか意義とか由来とかを、もろもろはしょったように
別に隅田川花火大会は歴史や伝統や意義や由来があるからという理由で取り上げたのではないのですが……。観客動員数が掲載されているページを検索して出てきたから記事に記載したまでで、「90万人というコミケを超える動員数」以上の含みは持たせていないので、もし逆に隅田川花火大会の歴史や伝統や意義に基づくと私の記事中に誤りが存在する、ということでしたら指摘していただけると幸いです。

ちなみに私がこうしてキールさんの記事中にある、コミケの部分に対して反論させて頂いている理由は、ひとえに私がコミケスタッフであるからです。ただスタッフといっても役職は持たず、平スタッフと表現してもいい立場なのですが、それでも誇りをもち、リーダーからの「全体から見れば数千人のうちの一人かもしれないが、一般参加者が出会えばコミケスタッフを代表する一人になる」という言葉を重く受け止めて活動してきました。そして毎回のコミケのスタッフ集会において「コミケは来るもの拒まず、できるかぎりの表現を許容する場である」という言葉が代表から繰り返し発言されることにより、キールさんの記事にあるコミケの解説が気になった次第です。
こちらこそ、コミケに拘るあまり、少々しつこい文章になったことをお詫びします。しかしながら、その場を善意で運営している人たちが居て、その人たちがコミケについて間違った印象を与えかねない文章を読んだらどう思うか、その一点だけについても、もういちど再考して頂けたら幸いに存じます。

Posted by: new : 20070711 04:36

>今のエントリーのままでは「コミケのほうがよっぽど迷惑だ」と読み取ってしまいかねないと思うのですが、如何でしょうか。

えぇ、『迷惑』の度合いで言えばコミケの方が圧倒しているでしょうね。参加人数からして500人と数十万人のイベントでは比べるまでもありません。
っていうか迷惑のかからないイベントなんてありませんよ。アキハバラデモであろうがコミケであろうが、隅田川の花火大会であろうが選挙であろうが、そのイベントに対して関心が無かったり敵意を持ってたりする者にとっては、どんな崇高で素晴らしいイベントでも『迷惑』になってしまいます。
問題なのは、その迷惑を『迷惑』と感じさせない、つまり多くの人が「ノレる祭り」を創り維持する努力や配慮であり、そうした面でコミケは優れているので、あれほど巨大で影響力のあるイベントであっても、『迷惑』だという声は、少なくともオタクの側からは余り聞こえないのではないか?という事をブログで書いたのです。
だから私が何故ブログでコミケだけを例に出したかと言えば、そのイベントとしての巨大さや影響力もさることながら、「ノレる祭り」としての努力や配慮が優れているからです。
そして私が「言いたかったこと」でもある事というのは「全てのイベントを含めた、様々な活動なり運動は、どんなモノであれ誰かさんの迷惑になってるんだから、ただただ「迷惑だ」と文句たれるのはナンセンスだ」って事です。


>直接関係ないことをわざわざ取り上げる、というのは良く分からないのですが。つまり『コミケの一部分だけを取り上げて比較したかった』ということでしょうか。

あのように言ったのは、デモが『迷惑』だという言説に対して、私がコミケを用いて相対化し、それに対しての文句だけだと思ったからです。
『迷惑』云々という事柄に関しての相対化については、かなり大雑把な枠としてコミケを捉えて書いております。そして『迷惑』云々という意味においては、祭りの質はそう大して関係ないと思うのです。どんなイベントも迷惑に感じる人というのは、絶対でてしまうのですから。


>その部分はその後の「法律に違反しない限り排除しないということこそが、「表現したい人が表現する場」として作られたコミケの理念に合致するのです」という部分はお読みになられたでしょうか?キールさんが「もしコミケがその理念を厳密に実行し、企業参加者やコスプレイヤー、儲けを追求するサークルや買い専の一般参加者を排除していたら」と書かれていたので、それの反論として記述させて頂いた部分なのですが。

あぁ、これは私の完全な間違いですね、すいません。
「コミケの理念」ではなく「コミケット創始者達の理念」です。ん〜理念というのも違うかな?意思、使命、大義といった所か・・・。
「コミケがその理念を厳密に実行し〜」ではなく「コミケがコミケット創始者達の理念(意思とか目的でもいいかな)を厳密に実行し〜」と書くべきできした。申し訳ないです。
で、このコミケット創始者達の理念とは何かというと「商業主義の否定」です。もっと詳しく言えば「自主出版物の流通を阻害する要因としての商業主義の否定」です。


>別に隅田川花火大会は歴史や伝統や意義や由来があるからという理由で取り上げたのではないのですが……。観客動員数が掲載されているページを検索して出てきたから記事に記載したまでで、「90万人というコミケを超える動員数」以上の含みは持たせていないので

えぇ、そうでしょうね。
私も同様に「アキハバラデモが迷惑だ」という言説に対して、コミケのイベントとしての巨大さや影響力の大きさを出して相対化しました。ゆえに『迷惑』という言説を相対化させた事に対して、コミケを例に出した事にはそれ以上の含みは持たせてはおりませんのです。


で、まぁ私の言いたい事をまとめますと、どんなイベントや活動であれ、『祭り』は多かれ少なかれ迷惑をかけるものであり、迷惑のかからない祭りなど存在しないと私は考えています。
アキハバラデモであろうが、コミケであろうが「迷惑だ」と感じてしまう人は、どう頑張っても絶対存在してしまう。ゆえに、その祭りが迷惑かどうかを言いあうのなんて陳腐な事であり、問題とすべきなのは、その祭りに「ノレる」か「ノレない」か、どれだけ「ノリやすい」かといった、祭りを行う側の配慮や努力ではないだろうか?って事です。そして色んな人がノレる祭りの代表として、またコミケを例に出しました。
で、何故ノレるかの一つの要因として、コミケはコミケット創始者達の理念を原理主義的に実行はせず、状況にあわせて柔軟に対応し、色んな人達を受け入れてきた事が功をそうしたのだろうっと、私は言いたかったのです。
言葉足らずや、こちらの勘違いや間違いで誤解をまねいてしまい申し訳ありません。

Posted by: キール : 20070711 22:29

コメントありがとうございます。

>問題とすべきなのは、その祭りに「ノレる」か「ノレない」か、どれだけ「ノリやすい」かといった、祭りを行う側の配慮や努力ではないだろうか?って事です。そして色んな人がノレる祭りの代表として、またコミケを例に出しました。
なるほど、では私とまったく感覚が違う方のようですね。それは失礼しました。私はどれだけの人が「ノレる」かよりも、アキハバラ解放デモを主催された方々の意思主張を尊重したいので、記事の末尾に「私としては運営の方々に、暴徒的なカオスではなく、意思を持ったアジテーターであって頂きたい。」と書き記しましましたし、キールさんの記事のコミケについての記述の部分の間違いに着目しました。
後、もし前回のキールさんのコメントで
>隅田川花火大会の歴史とか伝統とか意義とか由来
こう記された部分が、先ほど引用した私の記事の引用部分に対して仰っているのならば、私は「その事と「迷惑行為」について結びつけて書き記してはいないし、結びつけようとも思わない」と答えます。

>で、このコミケット創始者達の理念とは何かというと「商業主義の否定」です。
すみません、手持ちの「コミックマーケット30’sファイル」という、有限会社コミケットが出版した書籍を開いて「コミケットの理念」のページや「(コミケット)前史」の箇所を確認したのですが、そうと明記されている箇所は見つかりませんでした。もしかして同人サークル「迷宮」の活動の事を仰ってるのかとも考えたのですが、「迷宮」はコミックマーケットの母体になっているとはいえ、コミックマーケットとは別種のものですので、「コミケット創始者達の理念」には当てはまらないですよね。
もしそういった発言が過去なされたというのでしたら、私としても興味がありますので、どの文献からの引用かなどを明記した上で教えていただけると有難いです。

迷惑に対するまなざしは私はキールさんとほぼ同質のものを持っていると感じているのですが、迷惑に対する扱い方によってこうも意見が違ってくるものなのですね。私はまず、「迷惑の度合い合戦」にならないために特定のイベントの観客動員数や周辺地域ならびに交通機関への影響を挙げて「あっちのほうが迷惑だ」とは言いませんので。

Posted by: new : 20070712 04:59

>すみません、手持ちの「コミックマーケット30’sファイル」という、有限会社コミケットが出版した書籍を開いて「コミケットの理念」のページや「(コミケット)前史」の箇所を確認したのですが、そうと明記されている箇所は見つかりませんでした。

( ゚Д゚)・・・。
なるほど、今やスタッフでさえも、そういう事は知らないんですね。
まぁ、私も以前は知らなかったけどね。

えっと、もしかしてコミケの理念を額面通り、表面的にしか見ていませんか?
newさんが先に「表現したい人が表現する場」とおっしゃいましたしが、生まれた時からコミケや色んな同人誌即売会がある私達のような若造にとっては当たり前すぎる文言ですが、コミケが誕生した1975年以前においては、全然当たり前ではなかったのです。

今はネットやアマゾンのお陰でロングテールだなんだと、ニッチやマイナーなジャンルにも光が当たるようになりましたが、ネットの無い当時においては、売れるかどうかもわからないマイナーなジャンルの本や、採算の取れない自主出版物は、どこの出版社も書店も世の中には流通させてはくれなかったのです。
つまり「表現したい人が表現する場」なんてモノは無く、商業主義が自主出版物の流通の機会を阻害 していたのです。
さらに言えば商業主義による商業誌一極集中の市場は表現の多様性を阻害していました。
今だってジャンルの流行廃りで、売り上げが左右されますし、売り上げを第一に考える企業にとっては、商業主義によって、売れないものは売らず、売れるものを売るというのは当たり前の話ですよね。

そこで自主出版物が商業主義によって流通する機会を奪われないシステムを、場を、作る必要があり、そして同人サークル「迷宮」が中心となり、コミックマーケットが誕生することになったのです。(もちろんこのことだけがコミケ誕生の要因ではありませんが)
だからコミケの理念やコミケ誕生の背景には、「自主出版物の流通を阻害する要因としての商業主義の否定」があり、古参の参加者なんぞは、今でもコミケは「反商業主義としてのカウンター」という認識の方が多いですし、それゆにコミケにおいては過度の商業主義は忌避されたりするのです。

例えば、あの竹熊先生だって、こういう風におっしゃってますし。
「もちろん場を維持するためには仕方ないんだろうけれど、でも、準備会代表の米沢嘉博さんに聞けばはっきりそう言うと思うんだけれど、もとはといえばあれは70年代のカウンターカルチャー運動なんですよ。本来はアンチ商業主義的な、それこそ出版界、取次、書店をふくめた商業的なルートに入れない表現をすくい上げようという運動ですから。それが参加人員が膨れ上がるにつれて、運営側と一般参加者とのギャップがだんだん激しくなり、いまじゃあコミケをカウンターカルチャーだなんて考えている参加者なんてほとんどいないと思う。」
http://hotwired.goo.ne.jp/culture/interview/980929/textonly.htmlより引用


>もしかして同人サークル「迷宮」の活動の事を仰ってるのかとも考えたのですが、「迷宮」はコミックマーケットの母体になっているとはいえ、コミックマーケットとは別種のものですので、「コミケット創始者達の理念」には当てはまらないですよね。

えっ・・・・。
あの〜確かに今はコミケと「迷宮」は別物ですけど、コミケの創設や初期の運営は「迷宮」が中心になって行っていましたし、準備会の代表だった原田央男さんや故米澤代表も「迷宮」のメンバーだったんですけど・・・。
それとも「迷宮」はコミックマーケットの創始者達ではないと?


>私はまず、「迷惑の度合い合戦」にならないために特定のイベントの観客動員数や周辺地域ならびに交通機関への影響を挙げて「あっちのほうが迷惑だ」とは言いませんので。

別に、「迷惑の度合い合戦」にするつもりなんて、毛頭ございませんよ。
アレは、「アキハバラデモが迷惑だ」とか「彼等はオタクじゃない」という自称真のオタクという方々に対して「じゃあ貴方達がよく参加しているであろうコミケはどうなのよ」と訴えかけ迷惑という意味合いにおいて相対化させる為に言ったまでですけど。

Posted by: キール : 20070712 21:11

学校のテストで忙しいので後でエントリーにまとめて返信ということにさせて頂きます。

Posted by: new : 20070718 11:06