20070606

マスコットいろいろと「フェイマス・チキン」

ドアラ 2007/05/26 グッドウィルドーム vol.1 試合前

ニコニコ動画でこの動画を見て激しくゲラゲラと笑った時から、動画につけられた[マスコット]タグで他のマスコットたちの動画を見つけて鑑賞するのが最近の趣味。お気に入りは――


モノマネとか応援の煽りとか、子供じゃなくておじさん対応なのが実にいいマスコットたち。あとこのドアラは絶対甲子園に住んでる


はてなブックマーク12user集めていた動画。かわいい〜。

そして検索していたら昔見た記憶があるなつかしい動画がUPされていた。


アメリカはノリいいなぁー、と思ったら実はこういう隠された事情があるらしい。

10/13/2003 テッド・ジアンノーラス


サンディエゴ・チキンはプロスポーツ史上初のマスコットというだけではなく、音響効果にも歴史的変化をもたらした、彼の登場以前に流れていた試合中のBGMは全てオルガン演奏であり、現在のようにロックミュージックのレコードが使われる事は無かった。サンディエゴ・チキンの人気は全国区となり、模倣する者も後を断たなかった程だった。チキン観たさに球場に訪れる観客も少なくなく、負けが込んでスタジアムに閑古鳥が鳴いていた70年代のパドレスにとってはありがたい存在であった。

先のテッド・ターナーによるヘッドハンティング後に年俸が5万ドルまで跳ね上がったが、チキンの勢いは止まらずプレスリーのコンサートにも呼ばれる人気者となったが、1979年、彼の雇用先であるKGB局の許可無く公衆の面前に姿を現したために解雇され、ジアンノーラスにチキンのコスチュームを着てパフォーマンスを行なう事を禁止してしまう。それ以降、チキンはサンディエゴ・スタジアムからその姿を見せることは無かった。

1979年6月29日、白バイの先導で巨大な卵を荷台に積んだトラックがサンディエゴ・スタジアムに現れる。47000人の観客が駆けつけた球場にヨハン・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』が流れ、選手達の手を借りてその卵はグラウンドに降ろされた。間もなくして卵はゆっくりと二塁の方向へ転がり、卵の中からチキンが飛び出した。これが球史に於いて有数のパフォーマンスとして後世に語り継がれる事になるサンディエゴ・チキン復活劇、 "The Grand Hatching"である。10分にも及ぶスタンディングオベーションで迎えられ、全国ニュースでもその様子は報じられた。

す、すげぇ……。ちなみにこの鳥さんは現在50代になるそうで、知人によると「まだ現役じゃない?」とのこと。確かにこちらのサンディエゴ・チキン紹介記事は2006年のもの。パワフルだ……。
ちなみに上で紹介した記事は実に感動的に閉じられているので、引用した部分でぐっと来た方は是非ともアクセスを。

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