20070219

人間に備わるたいへん悲しい帰巣本能について

ミクシィをうろついていたら懐かしい名前を見つけた。思い出せば対人関係のもつれか何かでミクシィを退会したのが半年前ぐらいか。人生はリセットできないけどミクシィとネットはリスタート可能なんだよってそんなバレバレの名前と写真でリスタートになってるのかそれは。次に日記を見てそこに書かれている退会理由などに舌鼓を打ちつつ(もちろん別の意味で)、その下に輝く「あしあと帳」という文字に目を見張る私。対人関係に疲れた言ってたのにそこはオールカミングなのかよ。これは素敵な誘い受けの形だ。本音と(言う名の甘えと)建前(言う名の甘え)は日本のうつくしい伝統芸能でございます。

そして日記を見てたら真の意味の創作活動ってギョエエエエ呪文詠唱ギゴゴゴゴ。何故オタはもっと繊細でクリエイティブな事をしたがりますか?プププー心を持ちたがる哀れなマリオネットですカーじゃなくてこう、クリエイティブなことをしたい欲だけが異常な速さで回転して、でもそれ創作欲には永久に結び付かないよね自己顕示欲だからという事例を見る度に感じます。作るあなたたちのエロ本ににどんなクリエイティブなものが見えるのかしら。貴方は、クリエイティブな精神を向上させるためにエロ本を書くというけれど、エロ本を描いて得られるものなんて、売り上げ以外にあるとは思えない(by るろうに剣心追憶編)でも彼の望む幸せって売り上げでまかなえる程度の誰でも買える安っぽいものだからなー。適当にクリエイティブな(無論、それはその人の中ではクリエイティブとされているものであり、客観性は問わない)挑戦をした(今回は、オンナノコの表情に拘ってみましたー、程度の軽いもの)エロ同人誌を適当に売って、それで満足するのでしょう。もしくは「これは俺の望むクリエイティブ行為じゃないんだ!」とかメタ視して反省したそぶりを見せつつ、「ちゃんと欠点が分かる俺って大丈夫!感性鈍ってない!」みたいな自己満足に浸るか、二つに一つ、適当にサイコロ振って決めてください。

とかいいつつ彼同人誌ロクに出したことないのよね。出したことあるといったら大抵誰かと共同で。分はやる気の無いエロ原稿。あとラフとか。だってやる気ないから。「好きなことしたい」じゃなくて「好きなことしていたい」なのだから、原稿を描くことが大事なことじゃないんだよね。他の彼の趣味(マージャン、ネトゲ、エロゲ)と同列。だから締め切りとかを迎えないと、麻雀エロゲネトゲをやめられない。で、ギリギリになって書くのはその場しのぎで話を考えなくていいエロ原稿。でも売れる。エロは売れる以前に同人界隈だもーん。コミケは青田買い(=中途半端でもOK)が基本だもーん。それプラス一緒に書いてる人目当てで人は同人誌買っていくもーん。で、その売り上げに対してその側面だけ見て満足するのでしょう。もしくは「売れたのは知人のおかげなんだ!」とかメタ視して反省したそぶりを見せつつ、「ちゃんと欠点(ry)」。ちなみに反省したら次回はちゃんと原稿に打ち込むとか、そもそも即売会に出なくてネット活動とか別の方向にシフトします。それでも即売会に出続けてロクな本作らない彼の姿は本当にかっこよかった。

方向性を変えて、じゃあクリエイティブな創造をするために教育してみようとしても無理なのはこれまでだらだら書いてきた自分勝手さ以上にその人がのクリエイティブなものに対する閾値が低すぎるから。まぁ審美眼が若すぎるということにしようか。「やっぱりすごいものを見ると創作欲がわきますよねー」とか言って来たからかみちゅ(理由:とりあえずクオリティが高いからと女の子が出てくるから親しみやすいかと思って)を見せたら一番に返ってきた答え「ゆりえタソエロス。巫女服カワユス」。死ねアアアアアアアアアアアアアアア母子テックwwwwwwwwwwwwオホッホホIt's香港フォロー(爆笑)Air TV見て「感動したああああ俺も翼人伝承会(分からなかったら検索して)に入るううううう」とかわめいてるよーな人がクリエイティブな創造を成し得ないというか、もう何でもクリエイティブだと思ってしまうんですよねー。そりゃもう子供に対して大人の評価基準を当てはめるようなもんですよ。だけど個性を認めていく社会になってるからば――審美眼は若いままでいいんです。子供は大人にならなくて、コドモのままでいいんです。コドモにはコドモの世界があるんです。コドモ同士馴れ合ってオトモダチグループ作りあって褒め殺しあって下さい。ただ、生活圏がある程度被るのはしょうがないと割り切りますが、だからといってコドモがコドモのままで大人世界に入ろうとしないでください。ナショナルからの大切なお知らせです。

でも若いっていうことを特権とした暴走って創作には必要だしなー。竹熊×大泉対談中にある「オタクとオリジナリティー」において、「宮崎駿は自分の創作物を自分の「オリジナルと信じて」出せる」「批評家は批判的に物事を見てしまうので創作ができない」ということが書かれてあるんですけど、これって精神が大人か子供かの違いだと思うんですよね、ある意味。子供っぽい純粋な心を持っているからこそ、大人の世界を糾弾できるわけですよ。そもそも日本サブカルチャー作品の危機は常に子供か、あるいは子供っぽい自我が不安定な人間によって救われてきているわけです。ただ最近その子供が戦う世界が子供っぽい世界になってきたというか、巨悪ではなくてその小さな作品内でしか通用しない巨悪になってきてるんじゃないかなー、と。これはレイセンコウゾウの崩壊によって巨悪がなくなったというよか、諦観のように思えるんですね。描いているものは巨悪なんだけど、1クールモノの巨悪って言えばいいんでしょーか。オタの純愛が1クール、みたいなそんなカンジで鳳学園の中で王子様への出来レースが続けられているのが今のアニメ事情じゃないすかね。

話がそれちゃったけどつまりは暴走して外に飛び出さなくて、延々と学校の運動場のトラックでぐるぐる回っちゃってるんですよねー今の若人は。オタ超超嫌いで有名なオタクの惑星開発委員会主催の善良な市民さんは「野ブタ。をプロデュース」というドラマを参考に「人間はいつか死んでしまうので「終わる」。「今、ここ」はそれだけで入れ替え不可能の貴重なもの。よって日常はむしろ可能性に溢れている」ということを言っているわけですが、そもそも「野ブタ。をプロデュース」で描かれたような逆境のある(=巨大な敵がいる)世界ってあんまないんですよ現代日本において。私たちみたいなケモノ好きは日常社会では認められないけど、ネットに居たらすぐに仲間を見つけて馴れ合うことができるわけで、しかもそのコミュニティは趣味によってつながるコミュニティだから人が出て行っても次々に新しい人が入ってくる。趣味は普遍性があるから完全な終わりなき日常を営めるわけですよ!。善良な市民さんはまた「文化祭はすぐに終わるから楽しい」と言ってる訳ですが、そもそも趣味コミュニティにおいては前提が違う文化祭みたいなゆるゆるっとした空気がずーっと続くから楽しいんですよ恐らく。善良な市民さんみたいなインテリな人が、「文化祭はすぐに終わるから楽しい」と思うわけです。さまざまなものを摂取、許容できて、それの蓄積が楽しいからな訳ですね。だから普通の人ってもっと視野狭隘ですってば。なんで現代の悲劇は視野狭隘だからこそ社会の荒波に立ち向かえるということではなく、世界のスケールを極小に見積もってしまうことなワケですが。だから今必要なのは盗んだバイクで走り出せる不良か。世界観を破壊できる不良なのか。うわアニメにもう不良いるわ。日本のアニメオワタ\(^o^)/。

というわけで同人界隈は作品の上手い下手より友達として付き合えるかどうかで結構決まるわけですよ。優劣はエロいとか萌えとゆーよくわからん価値によって殺されるってのもあるけど、本作るって実作業面で作家と付き合うにあたってやっぱ気心の知れた相手とやる方が楽しいし、いかんせん皆が皆ガラスハートで取り扱い注意天地無用の持ち主だから。ネット発のスタッフ集めてエロゲ作るプロジェクトなんて死屍累々じゃないですか。タイプムーンもひぐらしもスタッフが全員気心知れた同志だったからできたことなんですよ。特に見返りのすくない同人誌ならなおさら。スケジュール遅れてもクオリティがアレゲでも友達だから、という理由でなんとかなるもんだ。いや、なんとかできるもんだ?なんとかできるからだ!
一応最後にマジレスしておくと、創作活動と呼ばれるものは自分の痛い所をどれだけ見せつけるかが勝負なんで、この点についきましてはもっと、専門学校各位様方は十分ご留意し、ご検討下さいますようお願いいたします。しかし彼の場合はもう生きるというその行為事態が十分面白く感じられるからいいのか。生きながらにして作品になった彼。とりあえず我を強く他を適当に生きて欲しいものだ。それが君が私に与えてくれた個性なんだから。

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