匿名という空間は自分が「2ちゃんねらー」と「ROM」という二重人格でいることを保障する
福島発言を参照するまでもなく、2ちゃんねらーはえてして同志が捏造した味方の意見を真実だと思いこむ(敵対する意見には捏造、工作員だと騒ぐくせに)。そして多くの場合、捏造された情報はばつが悪くなった子供のようにさっと隠され、踊らされた人を見てひろゆきの名言であるところの「嘘は嘘であると見抜ける 人でないと難しい」と言ったりする。「おいおい、お前も踊らされてたんじゃないのかい?」と突っ込むと、大抵の人は「や、僕は2ちゃんねるをROMってるだけですから」と答える。ちょwwwwそれが2ちゃんねらーですからwwwwwwww
――でまぁ、つまりはタイトルの通り、匿名空間は二重人格を認め、都合がいい時に自分が「2ちゃんねらー」になったり、「ROM」になったりすることができる場所なのだ。バツが悪くなったらさっと呪文を、「嘘は嘘であると見抜ける 人でないと難しい」という言葉を唱えればいい。するとあら不思議。自分はただその騒動を見下ろしているだけの監視者にはや代わり。こうして自らの失敗を言い訳で塗抹し、脆弱な自己は永遠に保護されていく。
2ちゃんねらーの中で「嘘は嘘であると見抜ける 人」は限りなく少ない。実際のところ、大多数の人間は「嘘であっても踊ることができる者」であったりする。その現実を直視しないですむように作った「嘘を嘘であると見抜ける者でないと難しい」という言葉。この言葉を生み出したひろゆきはやはり天才であり、賞賛に値する。
ー―2ちゃんねるを「利用する者」は誰か。そして自分は「利用する者」なのか、「利用されている者」なのか。最低限はこれぐらいは見抜けるようになりたいものだ。
追記:Something Orange 石田衣良は本当に「日本人を差別」したのか
孫引きであるから、以下の文章が正確にウィキペディアに掲載された文章そのままであるかは、ぼくには保障できない。
が、おおよそこのようなことが書かれていたことは、ぼくも記憶している
(「関西人が嫌い」とか「ぼくの読者は馬鹿」というものもあったと思う)。
この情報の出所はわからなかったが、2ちゃんねるの石田衣良スレで1年以上前に作られたか、張られたかしたものらしい。
ここ
ここ
どうやら事の推移は、「2005年以前に、2ちゃんねる石田衣良スレで偽インタビューがひっそりと作られる→2ちゃんねるで『サイレントマジョリティ』記事が取り上げられる→喜んだ2ちゃんねらーが、石田衣良スレに書き込まれた偽インタビューを信じてwikipediaの欄に書き込みまくる」ということになりそうだ。
ちなみに石田衣良問題は友人に教えられて、痛いニュースの当該記事やら、先ほどの「関西人嫌い」や「ぼくの読者は馬鹿」コピペなど一通り見せてもらった。
その友人はいちネットサーファーで、面白い画像や文章やネタや記事を収集するのが上手くて、その一環で石田衣良問題を引っ張ってきたんだろう。
面白いという言葉は時に事実を歪める。全ての事象を目の前にしたとき、何よりも優先して「面白さ」という判断基準で全てを理解しようとする人の前では、アンチが作った偽情報でも、真実であるか否かよりも「面白さ」で「そのネタを採用するか」が判断されるのだ。
面白さは2ちゃんねらーにとって重要な要素だ。
なぜなら「面白い」は軽いから。
なぜなら「面白い」は誰でも理解できるから。
匿名という希薄な存在たちが感覚を共有しようとする為に用いるものとして、上っ面だけの良識以上に、最高に使えるツールなんだろう。
私は何度も、こういう騒動に参加する者たちから「俺は面白いから取り上げてるだけだ」という言葉を聞いてきた。
真実などいらない。間違っていても大丈夫。
なぜなら上記で記したとおりにすれば、過ちは簡単に捨てられるから。
彼らは反省しないのだ。そして今後も永遠に、こういった問題は生産され続ける。
トラックバック