20060712

ほしのこえ、雲の向こう、ハルヒ、時かけ

ほしのこえが評価された理由はそれがメタアニメの構造を有していたからであるというのは、まず自主制作であるということと、アニメの中の表現がGAINAX諸作品へのオマージュであふれていたから、ということで。
DAICON FILMや初期GAINAX作品が、そうやって外部から「アニメ的なるもの」を取り込みつつも「作品」として評価されたのは、「アニメ的なるもの」で、自らをアニメとしていったんくくった上で、その箱庭的世界の中でリアリズム(=肉感的、というか。作家性、とか)を追求した所に「新しいリアリズムを表現した(=そしてそれは、アニメという表現媒体でしかなしえなかった)」と感じ取られたのではないか?(そんなGAINAXはエヴァで戦艦ヱクセリヲンの縮退炉暴走のような箱庭否定をした結果、その余波でアニメ界はふらふらと漂うことになるわけですが。今でも)
で、これを「ほしのこえ」に当てはめてみると、メタにたつ為の要素は自主制作になって、その中に後にセカイ系と呼ばれる要素を持つストーリーを入れ込んだ結果、いわゆる第三世代的な「ぼくたちのリアリズム」が発生したのではないか、と。
ちなみに某大ヒットアニメに参加したある演出家こんなことを言っている。感動したので引用。

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 新海誠「ほしのこえ」。

(前略)
 だが聴け、プロでのほほんとメシ食っている生きるに値しない業界人供よ。特にガイナックスとゴンゾの連中は、深く頭を垂れてこの作品の前に佇むが良い。最早、御前等にここまでの作品は作れないのだという事実を今ひとたび噛み締め、自らを呪え。97年を期にアニメの何たるかを忘却した亡者供には、もう過去の栄光にすがる自由すら与えられないのだ。

 本作が「エヴァ」「トップ」を始めとする往年のガイナックス作品に対するオマージュだというのはバカでも解る(ていうかそれも解らない映像オンチはもう映像を騙るな)。だが、これは正に、「忘れ去られた」20世紀末のアニメーションに対する、21世紀からの余りに美しいアンサー・ソングなのだ。

 89年に「まだ帰る所がある」と大粒の涙を流して呟いたタカヤノリコのオプティミズムを哀しみと痛みを以って全身で受け止めた「エヴァ」の碇シンジは97年、慟哭と共に「もうアニメは終わった」と吐き捨て、われわれの前から姿を消した。アニメは、自らアニメである事を捨てた。以降、総てのアニメ作品から「アニメ」が消えた。サブカル・アート系を騙ろうと背伸びする作品からも、オタクの下半身さえ満足させれば事足りると開き直った作品からも、「アニメ」は、跡形もなく消えた。

 今、数あまたある粗品乱造のプロのアニメ作品群(無論、今のプロ作品に金を払うなんて恥ずかしい事をするくらいならインディーズのビデオを買いに走った方がマシという事くらい、アニメ・特撮系の映像に少しでも知識のある者ならば知ってて当然の話ではあるが)の余りの痴呆振りに本作のヒロイン・ミカコは両眼一杯に涙をためつつ、それでもうっすらと笑みを浮かべて、消え入るような声で、こう囁いたのだ。

 「ワタシのコト、憶えてくれてるかナ・・・?」

 その答えが、今のアニメファンの反応の広がりの中に、確かに見えつつある。これは退行ではない。自分を見失ったアニメーションが、手探りで自分の姿を懸命に見付けようとしている、哀しいくらいに美しい様なのだ。ミカコの消え入るようでしかし振り絞るように懸命の囁きは、凄まじい共鳴となって日本中を駆け巡る。アニメは、まだ忘れられてはいないのだ。忘れ去る事が出来ないのだ。

 ここまで綴った私の言葉を疑う者がいるのなら、改めて問う。今のアニメーションにあの空はあるか。あの雲はあるか。ジブリすら見失った、美峰すら描けなくなった、密着多段引きで流れるあの雲が。私は途中堪え切れなくなった。大泣きして崩れ落ちそうになった。アニメは「空」を見失った。こんなに美しい空を、アニメは平気で見捨ててしまえる程、鈍感に成り下がっていたのだ。宇宙で瞬く青白い光。ゴンゾは果たして創立以来、バカ高いソフトを何本も駆使して、あれ程の美しい閃光を表現した事が一度でもあっただろうか?名前を出すのもバカらしいI.G然り!
 いや、そこまで他人事のように罵るのは大人げない。かく言う私だって、すっかり忘れてしまっていた。慣れとは本当に恐ろしい。ミカコの言葉ひとつひとつが(しかし声優がよりにもよって「人狼」の武藤寿美とは余りに役者不足!オリジナルの声の方が確実に良いのは間違いない)まるでキリストに打ちつけられた楔のように全身を痛みと共に走り抜けた。アニメの「死に行く」姿を看取ろうとかつて誓ったのは一体何の真似だったのか。俺はもう傍らでアニメを見つめ続ける眼すら持てなくなったのか?

 アニメが死んだとかもう描くものがないとか、そんな事をしたり顔で言う前に、先ずあの空を、雲を取り戻したい。今は無性にそう思う。痴呆が進んだこの世界でどれ程の事が出来るか解らない。しかし、放っておけば必ずどこかで、ミカコの囁きは聞こえて来るだろう。

 「ワタシのコト、憶えてくれてるかナ・・・?」

 新海誠には、確かにその声が、聞こえたのだ。耳を澄ませ。アニメの消え入るような切実な囁きを、ひとりでも多く、聴き取れ。アニメが本当に死んでしまう前に。

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しかしだ、「雲の向こう〜」以降はそういったメタアニメ的要素というものはなくなった。いや、いつの間にか何かに変わってしまった、というべきか。たしかにほしのこえは革新だった。しかしその革新なほしのこえと新海誠はCoMix Waveなるものに絡めとられてしまった。この味気ない白色発光明朝フォントのタイトル群を見よ。新海誠は、初めて自分たちだけでアニメを作り上げることが出来る技術をわれわれに指し示した。だが、このラインナップこそが、新海誠の栄光と苦労の全てが最後に到達した運命だった――のだろうか。

ダラダラとメモ代わりに書いてたらこんなけ長くなったので、ついでに「時をかける少女」というアニメに宿ったリアリズムについて書く記事につなげることにするー。

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コメント

メモ:新海誠はアニメ界のクリスチャン・ラッセンとしたら、Comix Waveはさしずめアールビバンか。

Posted by: new : 20060717 07:57