20051109

オタク趣味は知識がなくてもできるようになった

まずはじめに。
TrackBackを送らせてもらった加野瀬さん(ARTIFACT)の「オタク趣味は金をかけなくてもできるようになった」という記事は絶妙に分かりにくく、
最初の方が物的資産の蓄積の問題なのが、「更に考えたのが〜」で転調して知識(=非物的)資産の継承問題になっている気がしてなりません。
「お金をかけないオタクは過去の資産を持たないけど、リッチなオタクはきちんと過去の資産を持っている。」とあったので、
以下ぶっちぎりで「加野瀬さんは物的資産と、その物的蓄積を重視されているみたいですが――」と誤読しまくってる文章を書いてしまったのですが、
ここで訂正して書いてしまうと分かりにくくなってしまうので、
すみませんが誤読しっぱなしで続けさせていただきます。加野瀬さんゴメンナサイ……。

ジャーゴンとかオタトリビアとかに頭をかけていたのは今や昔の話。今は頭を使わないオタクが主流に!
というのはさておき、オタクが作り手(=リーダー)となる為の必要条件として、
加野瀬さんは物的資産を重視されているみたいですが、
私としては物的資産よりも知識的資産を重要視したいんですよ。
オタク的にアニメとかを見ようとすると、「夏目の目」みたいなものが必要になってくると思うのですが、
それを独学で得ようとすると非常に難しい。
なので私はアニメとかの見方を教えてくれる師匠みたいな人がいればと何時も思っていて、
私の予定ではそういう人が私が進学した大学のげんしけん(=オタグループ)に居たハズなんですね。
(――なんでハズになるのかというのは「第三世代(第四世代?)オタである私が空想した、
上の世代でのオタコミュニティのあり方」がそうであったからであり、
平野耕太の「進め聖学〜」やゆうきまさみの「究極超人あーる」でしかそういった存在を見たことがないので、
言葉を濁して「ハズ」ということにさせて頂きました。
でも、以下ムリヤリ「そういう人が居た」という前提で文章を進めます)
知識の蓄積は、効率を重視すると
師弟関係を結んでトップダウン形式で伝授するのが一番てっとり早いものです。
よってそういった「師匠」のような「知識を与えてくれる存在の有無」が、
オタクエリートと動物化オタクとを分ける最大のポイントではないでしょうか。
つまり、所属しているオタクサークルやオタクグループが、業界人やすごい人を輩出している集団なら、
すごい人のオタクDNAを受け継いですごい人となり、
その人がさらにといったカンジでその集団はオタクエリートが養成される空間となる。
対照的にそういった思想的バックボーンのない空間だと馴れ合い主体で動物化するポストモダンる、と。
私の推測によるとそうなんです。きっとそうです。というかそうでないと困るんです!

さて、ここからしばらくは私の身の上話。
みなさんどうやってオタク的な素養を培ったのかワカラナイのですが、
私の場合高校時代、ネットを探索して見つけたサイトの管理人さんを勝手に師とあがめ、
そのサイトの文章を飽きることなく何度も読み込んでいました。
アニメの作画の場合、マクロスプラスでオタクたることを志した私は、
のすふぇらとぅさんのサイトに存在した自伝のなかにあった
板野サーカスという単語によって作画の世界を知り、
ARTIFACTさんにあったナルト30話の記事で原画さんの名前でアニメを見るという視点を知りました。
それから色々と風邪をこじらせて(笑)、「この高校は薄い!」とさらなる濃さを求め、
私は首都圏の某国立一期校に入学した訳なのですが、そこのげんしけん(仮称)がとんでもなくヌルい所で、
大学二年生になった今はこうやって、ヌルいヌルいペッペと隠れて毒を吐いてるといった状態です。
嫌な奴だな。いいんだよ!こんなことバレやすいここに書いても何もいわない人達だもん!
――具体的にどうヌルいかといいますと、私が入部した時既に、私がその部でトップの知識量を誇ってしまったのです。
私地方出身の、ポケモンが二週間遅れで放送され、六時台のアニメはライオンズアワーで全滅な地域に住んでいたというのに!
そいで皆さんのほうはというと、将来の夢はカリスマアニメーターで尊敬する人は新海なんちゃらで、
でもアニメーターの名前全然知らなくて、教材一切使わずにフリクリ原画集一本のみでDoGAのコンテストの金賞を狙おうとしているパンクな子とか、
ロボアニメ大好きングでアニソンではJAM PROJECTを熱唱して好きな言葉は覚悟完了なのに、
ロボットの知識はスパロボのロボット大百科留まりとか、
とんでもなくファンキーな人たちが集まってげんしけんが構成されていまして、
そんなファンキーな集合体でげんしけんが成り立っていたわけです。
またどうやら話を聞いてみると、我がげんしけんには一度トラブルがあって
世代が断絶した時代があったらしく、
それ以前はきちんとプログラムされていた文化祭の出し物である上映会が、
現在すごくだらだらしたものになってしまっている(のです)という現状や、
昔はきちんとしていた部誌が最近はどうしょうもないものになっている事実を考えると、
「オタ知識の断絶が、サークルの動物化を促進させた」のではないか?と推測できます。

さて、全てが消費物となり、その消費物を吟味することなく動物的に消費し、
「他者との繋がりを得るためだけのネタ」として利用するということがオタクの間でアタリマエになった現代社会。
私は個人的にこのオタク社会を「ネタをガチに」生きた昔のDAICON的オタク社会とは違った、
「ガチをネタに」する「ネタ社会」と言っているのですが、
こういった「ネタ社会」をうまく生き抜く為の
「アイテムやジャーゴンで身を飾り、それによって現出した表層キャラで自己表現を図る」という方法は
非常にスマートで演じやすい最適解となります。
なので今オタク社会が、こういった方法で事物を消費する方向に突き進んでいるとすれば、
今度はそのことによって、逆説的にオタクは常に「ネタに飢えている」状況へ陥ってしまうことになります。
というかこの消費速度の速さ、実際むっちゃネタに飢えておられるのでしょう。
そういったオタク達の為にネタを用意する必要があるのですが、年々オタクが求めるものの水準は上がっており
作り手にとってはさらなる技術向上が必要となってきています。
そこで必要となってくるのは英才教育。ここでやっと、動物化したオタク集団は
過去の資産を持たないけど、オタク知識を受け継いでいる集団はきちんと過去の資産を持っている。
アニメや漫画なども、そういったオタク知識を受け継いでいる集団の構成員しか
作り手になれなくなってしまうという未来を想像
できるわけです。結論出すの長すぎる!

「ネタ社会」とか、勝手に作ったジャーゴンでその場を濁したりと荒すぎるエントリーなのですが、今回はとりあえずここまで。
次回はこのエントリーをブラッシュアップする枝葉エントリーをUPする予定です。

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