20051101

オサレなオタクが世界征服するのはやめたほうがいいと思う。

某所で以下の様なエントリーを書いた。

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タイトル:「ふと思ったんですよ。」

本文:「オサレなオタクが世界征服」って言うけど、実際やってることは
「領地拡大できなくてオシャレしないオタクを差別」なんじゃないかなー、という。
第一、お洒落とオタクって並列発電できる言葉じゃないし、
そもそもオタクの何がいけないのかというと心が醜い(比喩的表現・心の問題)なんだから、
いくらお洒落になろうと心を直さないといけないわけで。
いくらお洒落してもモテないものはモテない訳で、
でも無理矢理お洒落をステータスにしようとして、
結局「俺はオシャレしないオタクとは違うんだぜー」ちっくな言動に終始して、内戦を勃発させちゃう。

まぁ、あんな類のものはナンパ目的にはっつけるだけだろうから、
それでおしまいと言えばおしまいなんだけど、
とりあえず「足首ぱんつ」と「オサレなオタクが世界征服」は並列発電できないと思う(笑)。

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そもそもオタクというのは生き方みたいなものだった。
土日は外にも出ずずっとアニメばっかり見てるー、とか
コミケに行ってえっちぃ同人誌を買うー、とか
何も「そういうことしかできなくてしている」とかでなく、
「そういうことがしたいからしているんだ!」と、胸でなく意地をはる生き物がオタクだった。
また、彼等がファッションに気を配らないのは趣味の範囲外だからという理由ではなかった。
オタク趣味に全精力を注ぎ込み、ファッションに使うお金と時間が無かったからだ。確かに姿は無様だったが、逆に心は光り輝いていた。
しかし何時からか、オタクというのは生き様ではなく“スタイル”という形に変貌する。
とりあえずアニメ見てたり同人誌買ってたりしてサブカル趣味に片足つっこんでたらオタクと呼びあうようになり、
社会一般で使われてきた侮蔑用語としての“オタク”とほぼ同じ語義となった。
それはある種の、社会に対する敗北宣言であった。
「オタクは趣味で、僕は一般人と変わらないよ」と言うことで没個性化することにより社会に適応を図り、
社会に置いて安定した地位を確保しようと模索したのである。
そういった彼等を“発見”したのが「電車男」であり、
また電車男のヒットによってオタクは急速に一般化した。
スタイルである以上模倣は簡単に行われ、何かひとつの趣味に少しでも没頭していたら、
彼/彼女は「オタク」と呼べるようになったのである。
もはやオタクは一般人と変わらない。
だから簡単に脱オタできるし、オタクを“卒業”することができる。
そんな彼等が何故かたくなにオタクにしがみつこうとしているのが?
それについて確たることは言えないのだが、私はきっと
「以前に提唱されたオタクの概念があまりにも眩しかったから」だと思う。
ある種の誇りある生き方としてのオタク。
「オサレなオタクが世界征服」同盟には檄文として、以下のような文章が掲げられている。

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今日オタクにはこんなマイナスのイメージが蔓延している。
日本の経済の活性化、技術の先端にはいつもオタクの姿があった。
より機能を便利に、音楽を高音質に、映像を綺麗に・・・。
その難題を可能にしてきたのは紛れもないオタクの力だ。
だが誰もそのオタク達を褒め称え敬おうとする者はいなかった。
それはなぜか・・・。

そう、今までのオタクは見た目がダメだったんだ。A系と呼ばれ忌み嫌われた先代の勇士達。
もう少しオサレであったならば彼らはきっと日本の頂点に立っていたはずだ。
それなのに俺達オタクはキモイだの臭いだのウザいだの・・・。
心無い一般のなんの取り得もないクズ共に言われたい放題だった。
もうこんな惨めな思いをして生きていくのはたくさんだ!

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この文章を見る限り、オタクに対して相変わらずのネガティブイメージを持ちつつ、
昔の”偉大なオタク”に対しては敬意を払い、尊敬のまなざしを与えていることが分かる。
ならば、彼等“偉大なオタク”達を模倣する生き方を歩めばいいではないか。
少なくとも、物事を成し遂げたオタクは社会からある程度の承認を得ている。
彼等が言うとおり褒め称え敬われなかったということは無い。
偉大な人物には、それ相当の評価が下されるものだ。

僕達はオタクではない。
「一般のなんの取り得もないクズ共」だ。
だからオタクを諦め、一般ぴーぷると馴れ合って終わりなき日常を生きるのもいいし、
もしくはオタクを志しジェダイマスターとして解脱して、旧来の意味でのオタクを追いかけるのもいい。
ただ彼等を悩ませているのは自身の足踏みだ。
だから私は彼等に対して、あと一歩踏み出してみろと彼等に言い続けることにしている。
第一物事はっきり決められない優柔不断な男を、女は愛してくれないでしょ(笑)。

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コメント

>僕達はオタクではない。
>「一般のなんの取り得もないクズ共」だ。

この時点でダメダメです・・・自分がヲタだと思うなら、
それが誇りになるのですよ〜。
私は君を弟子だと思うから語るべき言葉がある。

「ヲタであることを誇りに思え」

「自己がヲタであり、精進し続けようとする信念を持て」

「ヲタは常に人から常に差別されると言う覚悟を持ち、
何か言われても、いちいち、突っかからず、笑って
受け流しなさい」

この3言こそが、ライトなヲタでも、ヲタを続けるための
至言であると。
欲を言えば、「自己の3次元的な性欲に流されるな」
・・・ってどこぞの宗教かいっ?!w
欲に忠実であるからこそ、不要な欲には禁欲的で
あれと(ぉ

まぁ、別に外面がキモメンな私でも、きちんとどこかで
筋が通っていれば、認められるし、人当たりも
よくなるよw
恋愛だけは・・・まぁ諦めろw
尤も、この境地に辿り着けば、既に3次元に
恋をしよう、などと言う”愚かな”発想すら
霧散しているので、
諦めもへったくれも無いけどねwww

私からの経験を通しての言葉は・・・
「かつては、自分がヲタっぽい事を悔やみ、
憎んだ事もあった・・・だが今は、ヲタである事こそが
俺のプライドだ」
ですな。
まぁ、小学からマニアとか奇人変人変態とか、
中学に入ってからも教師から宮崎○とか
ロリコンとかヲタクとか散々言われたけど、
ボクは、この生き方に全く後悔していないし、
逆に誇りですらある。

言ってるあんたらは、俺と同じ生き方が出来るのか?
ただ只管に追い求め、ひた走り続ける生き方を?!
と。

まぁ、やらんとか、やろうとも思わんと言うのは
目に見えているので、
「出来もしない事をどうこう言うな!」と
(うちの親父のごとく)喝破可能なのでどうにでもなるし。

・・・余り、へぼい事言ってると、冬に鍛え直すぞw

Posted by: べん@師匠 : 20051102 00:42

えっ僕嫁は二次元ですYO!?というか女に興味なんてこれっきしもゲフゲフゲフン。

いやまぁ、周りにオサレなオタクが世界征服とか言ってるやつが増えてきたので、なんともいえなくなったんですよ……。ちょっとぐらいやさぐれさせてくださいませ(笑)。人間変わっても、環境ばっかりはどうしようもならねぇ。

Posted by: new : 20051102 01:23

エゴを出せば女に興味がなくともフワ・フサ・機械・筋肉美だけではなく
曲線美も求めて欲しいなぁ。

ついででグリルパルツァーの「ウィーンの辻音楽師」をリスペクトしておきます。
この人の描写は生き生きとして好きなのですが
知人曰く、「ロシア文学ならこれくらいの描写は普通」orz

Posted by: - : 20051103 22:29

え、一般ぴーぷると馴れ合う気はなし?
不安を煽り、形而上学に逃げ込ませようと。
これは愛?

Posted by: - : 20051109 00:47

不安をあおり、っつーかオタクっていうレッテルにしがみついているという状態がそもそも危ういですからなぁ。

Posted by: new : 20051109 20:20

でも意義がないわけではないでしょう。

私はもう手遅れです。理念とブランディとピアソラが矛盾なく有機的に結合し不可分にまで達しました。

Posted by: -@動物 : 20051110 02:49

結局、外見的に気を使わないというのは人間として欠けていると見られても仕方ないのです。
それをわからないのは社会人としてもう救いようがない状態、そのくらいは解ってるんだろうな?おまいら!?
ヲタに誇りを持つのは良いが、外見に気を使わないでよいというのは明らかに危険思想だ。
オウムと同じレベルだ。
ただでさえロリコン殺人や某変な宗教団体と同一視されがちだというのに。
ヲタがここらへんを自覚してキモヲタを主張するのは良いが
たいがいのキモヲタとつきあってみると、やっぱ社会性、協調性に欠ける部分は否めない。
結局キモヲタを主張するのは、自分のアイデンティティがしっかりしていないからそんなものでもよりどころにしないと自分が保てないのだろう。

Posted by: 社会に生きる人間としてクズのキモヲタ : 20051126 16:20

キモヲタはキモヲタとして自分を保つ生き方だからあんまり干渉するのも可愛そうだ。
ただオタクとしてではなく普通のアニメーション愛好家もいるということをキモヲタも解って欲しい。
いや、本当に懇願する。
別にお互いの生き方を批判する必要もないじゃないか。
音楽とかどんな文化ジャンルだって細分化して並存するものなんだ。
誰もオサレアニメを批判する必要はない。
その逆もしかりだ。
俺はオサレアニメがもっと普及して一般社会にアニメが受け入れられれば良いと思っているがA系アニメが好きな人はそれはそれで良いと思ってる。
知人にはオサレな萌え愛好家もいるし。
ただアニメの将来を考えるともっと多様化して極一般層の大人向けで質の高いアニメをもっと増やしていくことは絶対必要条件だと思ってる。
アニメ全体の将来にとって良いことをリアルに考えることもオタクの義務なんじゃないかと俺は思ってる。

Posted by: : 20051126 16:30

>社会に生きる人間としてクズのキモヲタさん
書き込みどうもですー。
けっこうそこら辺が難しいところで、「キモオタ」という言葉の中に
「キモ」という言葉が詰められているので、
すべての「キモ」成分をぐわっと寄せ集められちゃうんですよね。
>>社会性、協調性に欠ける部分は否めない。
という部分も含めて「キモオタ」とするか、
社会性、協調性があっても趣味なんかでキモオタと差別している人をキモオタとするか。
もちろん前者の方が概念的に正しいと思うのですけど、
そうすると「社会性、協調性に欠ける」っていう部分に引っ張られて
「キモオタ」としての議論が上手いこと成り立たない。
キモとか非モテ論議は難しいっす……。

Posted by: new : 20051127 17:54

> さん
世間がオタクに向ける視線って、つねに矛盾とか内包して無茶苦茶なんですよね。
「オタクはまたこんなヘンなアニメ見てー」といいながら
宮崎駿のロリコンアニメを喜んで見てますし。
そこにせっついたら
「宮崎アニメはキモいアニメとは違って感動とか壮大なドラマとかがあるの!」
とかよくわからないことを言ってファビョってしまう。
自分の考えた一般ぴーぷるさんというのは、
そういうあやふやな立場しか自分の中に審美眼として持ちえていない人と考えているので、
ノイタミナ枠とかで一般ぴーぷるにアクセスをしても、
今度は「ジブリ、ノイタミナは別で」「他のアニメはダメアニメ」としか見てくれないと心配してます。

話はずれますが、ちょっと某所で書いた文章を転載します。
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http://www.akibablog.net/archives/2005/11/post_161.html
たとえば、“ヲタク”はデジモノオタを追い出して秋葉原に自分たちの楽園を築き上げた訳、で……。内向きにしか語る言葉を持たなかったオタクへの報い、という一面もなきにしも、あらず……。

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僕としても さんと立場は同じで、
外部に向けて語る言葉が必要と思いますね。なんとかして作らないと、と。
オタクはそれをせず、
内部をパージして「自分はこいつらよりマシ」とかやるから
痛いのなんの、ってカンジですよね。

Posted by: new : 20051127 18:01

>別にお互いの生き方を批判する必要もないじゃないか。
現時点ではそうかもしれませんが体験・精神・性癖と創作物・外見・好みなどの
相互関係が明かされていく上で
これから起こされるかもしれない
世間的に許される差別の深刻化があるとすれば
そう悠長に言ってられないと思います。
成り行きによっちゃぁ同人だってロクにできないのでは。

Posted by: - : 20051210 19:12